2009年 11月 26日
Imre Thormann (イムレ・トルマン) 11/9 公演 |
Imre Thormann (イムレ・トルマン)と Nik Baertsch の11/9 公演について記しておく。会場は日暮里の d-倉庫という、非常にダンス用(舞踏)としてよくできた会場だった。ステージは正方形に近く、客席はステージを見下ろす形で設営されている。
ステージ右後方にNik 用のプリペアード・ピアノと、その脇にとても大きなバス・ドラムが設置されている。Nikはこれらを使ってImre の伴奏をつとめた。
真っ暗な会場に一筋の「細い道」状のライトがステージ左側に照らされると、それに沿って Imre がステージ後方よりゆっくりと登場してきた。白いフリルの多い女性用のドレスをまとっている。パフォーマンス"Voyager"の始まりだ。Imre の祖母に捧げた一種のオマージュとして制作されている。今回はそのフル・ヴァージョンだ。
パフォーマンスでは、Imre のこれまでの肉体と精神の鍛錬が随所に現れていた。Nik のパーカッシヴなピアノと驚くほど低音が深く響くドラムが伴奏という枠を超えて、通常の舞踏を立体的な構成へと導いていた。Imreは水を得た魚の如く、無言の中にも「真」のエネルギーを会場に満たしていく。「迫真」ではなく、「真」だ。「真」に迫るというような度合いではない。舞踏は媒体と化し、そこに真理が佇む。
1時間ほどの公演を一人で、かつ舞踏でこなすのは並大抵ではない。もちろん、単なる「舞踏ダンス」ではないから、いわゆる「芸術表現」というレベルでもない。「エンタテインメント」をレベル 1とすれば、「芸術表現」がレベル 2、Imre など一部のアーティストが目指しているのは、その上のレベル 3 だ。何事もそうだが、真理の追究は容易ではない。自我は邪魔をし、自意識が乱しにかかる。見る側には同様の集中が要請される。「舞踏」を見ながら「舞踏」の向こう側に至らんとする、無意識の努力が求められる。レベル 1を求める人もいれば、レベル 2で満足する人もいる。
彼の舞踏を体験した人々を真理へと導く難しさを考える。もちろん、それでもやらねばならない。彼にとってそれは自明だ。
ステージ右後方にNik 用のプリペアード・ピアノと、その脇にとても大きなバス・ドラムが設置されている。Nikはこれらを使ってImre の伴奏をつとめた。
真っ暗な会場に一筋の「細い道」状のライトがステージ左側に照らされると、それに沿って Imre がステージ後方よりゆっくりと登場してきた。白いフリルの多い女性用のドレスをまとっている。パフォーマンス"Voyager"の始まりだ。Imre の祖母に捧げた一種のオマージュとして制作されている。今回はそのフル・ヴァージョンだ。
パフォーマンスでは、Imre のこれまでの肉体と精神の鍛錬が随所に現れていた。Nik のパーカッシヴなピアノと驚くほど低音が深く響くドラムが伴奏という枠を超えて、通常の舞踏を立体的な構成へと導いていた。Imreは水を得た魚の如く、無言の中にも「真」のエネルギーを会場に満たしていく。「迫真」ではなく、「真」だ。「真」に迫るというような度合いではない。舞踏は媒体と化し、そこに真理が佇む。
1時間ほどの公演を一人で、かつ舞踏でこなすのは並大抵ではない。もちろん、単なる「舞踏ダンス」ではないから、いわゆる「芸術表現」というレベルでもない。「エンタテインメント」をレベル 1とすれば、「芸術表現」がレベル 2、Imre など一部のアーティストが目指しているのは、その上のレベル 3 だ。何事もそうだが、真理の追究は容易ではない。自我は邪魔をし、自意識が乱しにかかる。見る側には同様の集中が要請される。「舞踏」を見ながら「舞踏」の向こう側に至らんとする、無意識の努力が求められる。レベル 1を求める人もいれば、レベル 2で満足する人もいる。
彼の舞踏を体験した人々を真理へと導く難しさを考える。もちろん、それでもやらねばならない。彼にとってそれは自明だ。
by invs
| 2009-11-26 12:39
| Nik Baertsch's Ronin