2010年 07月 26日
国の文化予算 |
以前、中国や韓国のコンサートに対するサポートについて書いた。日本での政府によるサポートが彼らに比べて低いのではないかというものだ。これに関連して7/25 の朝日新聞に興味深い記事が出た。
文化庁、2008年度調べによると、韓国と中国は国家予算に占める文化予算の割合が、リストアップされた国々の中でフランスに次いで二位と三位になっている。日本は六位だ。絶対額では中国が一位だ。
フランス 0.86% 4,360 億円
韓国 0.79% 1,169 億円
中国 0.51% 4,775 億円
ドイツ 0.39% 1,592 億円
イギリス 0.25% 2,545 億円
日本 0.12% 1,018 億円
アメリカ 0.03% 925 億円
このリストは音楽関連予算だけを対象としたものではないが、普段の仕事で感じる各国のサポートについての実感にかなり近い。アメリカは社会主義的なものを嫌う伝統があり、文化は民間が先導するものという姿勢がみられる。よって、ビジネス主導であり、売れるものを優先するから、ある意味大衆迎合的にならざるを得ない。但し、民間の中に、私費で文化を応援しようという意志とかなりの額の寄付が存在する。それが、質的な部分で補完的な役割を果たしているのだろう。
このリストを見ると、アメリカに次いでサポート%が低い日本は、文化政策において、アメリカのやり方を追っているように見える。ただ、多額の寄付社会でなく(件数はそれなりにある)、政府の援助も少ないから、民間企業はアメリカ以上に資本主義的にならざるを得ない。お金の儲からない「文化事業」はやるのが難しいのだ。「文化」の言葉こそついているが、「事業」に優先的ポジションが与えられている。
中国・韓国のコンサート事業領域での躍進はめざましい。世界中の名だたるミュージシャンが、日本をパスして出向いている。両国とも、文化を国の政策として重要なものとして位置づけ招致しているからだ。自国のアーティストをサポートするための予算という一方向的な考えではない。他国のアーティストを呼んで、国民の文化程度を上げるというのも重要な政策のはずだ。
質の高い海外ミュージシャンが興行上の経済的理由で来日を見送っている一方、国が許諾する(よって、放送内容については、経済性のみによる判断ではなく、それなりの責任を伴う)独占的事業としてのテレビにおいて、(大衆に「好まれる」からという理由で)低いレベルで重要な放送枠が消化されているのは、どう考えても納得がいかない。大衆は望んでいるのではなく、それ以上にすばらしいものがあるという事実を知らされていないが故、望みようがないのだ。
だが、だからと言って、テレビ会社だけを非難するのは当たらない。彼らも総体としての日本において、営利企業として生き残らねばならない。啓蒙活動にいそしんでいる余裕はないのだ。それに国家がテレビなどマスコミに介入するのはご法度だ。政治で文化政策を誘導するという点についても多々議論があろう。別に他国を真似ろということではない。複雑に絡み合った日本社会全体の問題としてすべての人が認識するところから正しい道が始まると思う。
どこから手をつけるか。何をきっかけとして改善しようとするのか。私見ではサポート・助成に関して責任と権限を持つ半官半民の独立機関を使ってはどうかと思う。これであれば、国による行き過ぎた誘導もコントロールできるし、民間の低リスク・低品質傾向も避けられるのではないか。但し、優柔不断にならないよう、外部識者によるアドヴァイザー委員会のようなものが必要になるかも知れない。
文化庁、2008年度調べによると、韓国と中国は国家予算に占める文化予算の割合が、リストアップされた国々の中でフランスに次いで二位と三位になっている。日本は六位だ。絶対額では中国が一位だ。
フランス 0.86% 4,360 億円
韓国 0.79% 1,169 億円
中国 0.51% 4,775 億円
ドイツ 0.39% 1,592 億円
イギリス 0.25% 2,545 億円
日本 0.12% 1,018 億円
アメリカ 0.03% 925 億円
このリストは音楽関連予算だけを対象としたものではないが、普段の仕事で感じる各国のサポートについての実感にかなり近い。アメリカは社会主義的なものを嫌う伝統があり、文化は民間が先導するものという姿勢がみられる。よって、ビジネス主導であり、売れるものを優先するから、ある意味大衆迎合的にならざるを得ない。但し、民間の中に、私費で文化を応援しようという意志とかなりの額の寄付が存在する。それが、質的な部分で補完的な役割を果たしているのだろう。
このリストを見ると、アメリカに次いでサポート%が低い日本は、文化政策において、アメリカのやり方を追っているように見える。ただ、多額の寄付社会でなく(件数はそれなりにある)、政府の援助も少ないから、民間企業はアメリカ以上に資本主義的にならざるを得ない。お金の儲からない「文化事業」はやるのが難しいのだ。「文化」の言葉こそついているが、「事業」に優先的ポジションが与えられている。
中国・韓国のコンサート事業領域での躍進はめざましい。世界中の名だたるミュージシャンが、日本をパスして出向いている。両国とも、文化を国の政策として重要なものとして位置づけ招致しているからだ。自国のアーティストをサポートするための予算という一方向的な考えではない。他国のアーティストを呼んで、国民の文化程度を上げるというのも重要な政策のはずだ。
質の高い海外ミュージシャンが興行上の経済的理由で来日を見送っている一方、国が許諾する(よって、放送内容については、経済性のみによる判断ではなく、それなりの責任を伴う)独占的事業としてのテレビにおいて、(大衆に「好まれる」からという理由で)低いレベルで重要な放送枠が消化されているのは、どう考えても納得がいかない。大衆は望んでいるのではなく、それ以上にすばらしいものがあるという事実を知らされていないが故、望みようがないのだ。
だが、だからと言って、テレビ会社だけを非難するのは当たらない。彼らも総体としての日本において、営利企業として生き残らねばならない。啓蒙活動にいそしんでいる余裕はないのだ。それに国家がテレビなどマスコミに介入するのはご法度だ。政治で文化政策を誘導するという点についても多々議論があろう。別に他国を真似ろということではない。複雑に絡み合った日本社会全体の問題としてすべての人が認識するところから正しい道が始まると思う。
どこから手をつけるか。何をきっかけとして改善しようとするのか。私見ではサポート・助成に関して責任と権限を持つ半官半民の独立機関を使ってはどうかと思う。これであれば、国による行き過ぎた誘導もコントロールできるし、民間の低リスク・低品質傾向も避けられるのではないか。但し、優柔不断にならないよう、外部識者によるアドヴァイザー委員会のようなものが必要になるかも知れない。
by invs
| 2010-07-26 13:47