2014年 12月 14日
Sara Marielle Gaup と Adjágas |
Arvvas でヨイクを吟じる(歌う)Sara Marielle Gaup はもと Adjágas というサーミ・バンドのヴォーカリストだった。それも正式にはつい数か月前までそうだった。そのあたりの事情も含めて彼女がいろいろ語ってくれたので記録として書いておく。
Adjágas (彼女のサーミ語発音では「アッジャガス」に近い)は彼女が21歳の時加入したグループだった。最初プロデュ―サーからバンドへ誘うメールが来た時(プロデュ―サーは彼女のソロ活動などのヨイクを聴いていた)彼女はたいしたことがないと思って返事を出さなかった。しばらくしてそのプロデュ―サーがバンドを作ろうとして最初から念頭に置いていたサーミ族のヴォーカリスト Lawra Somby にプロデュ―サーのことを聞いたら、彼は信用できるということだったので、ようやく返事をした。結局、それから10年間、Adjágas の活動をすることになった。
バンドは Lawra Somby とSara Marielle Gaup がヴォーカルで主要メンバーだったが、だいたいツアーではバックバンドメンバーを入れて 全部で6-7 名(Lawra と Sara がサーミ族)だった。一番最初のバンド・ツアーが何とイギリスで最大級の野外フェスティヴァルの Glastonbury Festival にフェスのオープニング・バンドとして出演するこことだったが、まさに始まろうとしていた時にステージに雷が落ち、出演はキャンセルとなった。実はそれは彼女にとっては暗に望んんでいたことだった。それというのも、バンドとしてまだ十分なレベルに達していないということを最初から感じていたからだ。バンドにもそう伝えてあったが、説得されてフェス出演を OK したものの、大会場の大ステージを見て、そして偶然だが、ギタリストが持ってきたギターが移動中にめちゃくちゃに壊されていたこととか、前日から大雨で停電になりステージが使えないなどの状況が重なり、これはやはり出演すべきではないと思っていた。そして遂にはステージに雷が落ちるという状況になった。
その後バンドの活動は活発化し、Glastonbury Festival にも出演、ノルウェーをはじめヨーロッパ各国や台湾にも遠征した。バックバンドは一回メンバーを入れ替え、都合 2 枚のアルバムを製作した。3 枚目の製作途中でLawra が製作に苦労し、結局完成しなかったが、その後彼は音楽以外の方向に興味が移り、そのまま数年が経過してしまった。Sara としてはずっと再始動を望んで待っていたが結局今年の夏に Steinar から声がかかった(Skaidi が札幌で公演するはずだったが、メンバーの Inga Juuso が病気で出演できなくなり代役としてSara がInga に推薦された)。そして今回 12月の日本ツアーが決まり、最終的に Adjágas を解散することを決断し、Lawra の所に行って話をして決めた。
Adjágas (彼女のサーミ語発音では「アッジャガス」に近い)は彼女が21歳の時加入したグループだった。最初プロデュ―サーからバンドへ誘うメールが来た時(プロデュ―サーは彼女のソロ活動などのヨイクを聴いていた)彼女はたいしたことがないと思って返事を出さなかった。しばらくしてそのプロデュ―サーがバンドを作ろうとして最初から念頭に置いていたサーミ族のヴォーカリスト Lawra Somby にプロデュ―サーのことを聞いたら、彼は信用できるということだったので、ようやく返事をした。結局、それから10年間、Adjágas の活動をすることになった。
バンドは Lawra Somby とSara Marielle Gaup がヴォーカルで主要メンバーだったが、だいたいツアーではバックバンドメンバーを入れて 全部で6-7 名(Lawra と Sara がサーミ族)だった。一番最初のバンド・ツアーが何とイギリスで最大級の野外フェスティヴァルの Glastonbury Festival にフェスのオープニング・バンドとして出演するこことだったが、まさに始まろうとしていた時にステージに雷が落ち、出演はキャンセルとなった。実はそれは彼女にとっては暗に望んんでいたことだった。それというのも、バンドとしてまだ十分なレベルに達していないということを最初から感じていたからだ。バンドにもそう伝えてあったが、説得されてフェス出演を OK したものの、大会場の大ステージを見て、そして偶然だが、ギタリストが持ってきたギターが移動中にめちゃくちゃに壊されていたこととか、前日から大雨で停電になりステージが使えないなどの状況が重なり、これはやはり出演すべきではないと思っていた。そして遂にはステージに雷が落ちるという状況になった。
その後バンドの活動は活発化し、Glastonbury Festival にも出演、ノルウェーをはじめヨーロッパ各国や台湾にも遠征した。バックバンドは一回メンバーを入れ替え、都合 2 枚のアルバムを製作した。3 枚目の製作途中でLawra が製作に苦労し、結局完成しなかったが、その後彼は音楽以外の方向に興味が移り、そのまま数年が経過してしまった。Sara としてはずっと再始動を望んで待っていたが結局今年の夏に Steinar から声がかかった(Skaidi が札幌で公演するはずだったが、メンバーの Inga Juuso が病気で出演できなくなり代役としてSara がInga に推薦された)。そして今回 12月の日本ツアーが決まり、最終的に Adjágas を解散することを決断し、Lawra の所に行って話をして決めた。
by invs
| 2014-12-14 11:37
| Arvvas