少し遅くなってしまったが、10/20 の Ulrike Haage + Eric Schaefer 公演について感想を書いておく。
会場となったPit Inn には、当日予想以上にお客さんが来られた。ありがたいことだ。日本では知られていないアーティストのライヴは、当然客数が限られる。それを前提に企画と制作を行うが、全力尽くしても採算ラインにはなかなかのらない。Ulrike Haage はドイツのジャズの最高賞をとっていて、Eric Schaefer も賞を幾つか受賞しているので、そういう意味では公演の質というものはある程度保証されている。だからといって、それが多くの人の興味を自動的にそそるわけではない。
公演は平松良太のピアノ・ソロで始まった。すべてインプロヴィゼーションということだが、どうしてなかなかストリー性が見える「作品」が現れた。静・動ダイナミックなメロディーとリズムが万遍なく相和して、聴く者をとらえる。後でお客様の評判もすこぶるよかった。ソロの後は Eric とのインプロ・セッションだ。まったく事前の打ち合わせも音合わせもなく、ステージで演奏するのはスリリングだ。それぞれ技術とセンス、己の思想と相手への敬意がなければうまくいかない。平松とEric はこれを難なく超えて、すばらしい「一回限り」を聴かせてくれた。
次は巻上公一だ。ヴォイスとテルミンが中心だが、口琴も披露した。ヨーロッパ公演から帰ってすぐ中部地方の公演をこなしてその足で駆けつけてくれた。まだ時差ボケもあるだろうに、いつもと変わらず思い切りのいいヴォイス・マジックが心地いい。テルミンとヴォイスの合わせ方も相当進化してきている。これまで以上に混然一体、ヴォイスとテルミンが別々の「楽器」にとどまることなく、一つに融和している。それに巻上の顔・手・身体のパーフォーマンスが合体し、全体として有機的音楽手品師といったところだ。ヨーロッパの各種フェスティヴァルより声が掛かるのも当然だろう。
巻上と Ulrike とのデュオ・インプロは見ものだった。それぞれが相手の音をよく聴いている。通常、映画ストーリーや劇音楽を思わせるUlrike のピアノ・リフレインは影を潜め、巻上が繰り出す怒涛のヴォイスを引き立てる。むしろ彼女のアヴァンギャルドの一面が引きだされた形になった。ドイツでのジャズ賞の受賞理由に「特にポップ、芸術及びアヴァンギャルドのインターフェースをはかる音楽企画が評価」とあるのがよくわかる。巻上も若い頃劇団に所属し、世界ツアーに出ているから、この二人の取り合わせはかなり面白かった。彼のステージ上の演奏が、あたかも演出された劇の一場面に見えてしまった。
休憩を挟んで、Ulrike とEric のデュオ公演へと移った。もともと用意されたフレーズがあるにはあるが、かなりの部分でインプロが展開される。但し、Ulrike のピアノのアプローチがジェントルで、ある意味クラシカルでもあるため、どこにインプロが現れたのか判断し難い部分が出てくる。ここで思い出したのはスイスのECM 系ピアニスト Nik Baertsch だ。彼もインプロと作曲部分が不明瞭な曲を意識的に書いている。インプロでソロをとるといったジャズやロックでのアプローチは、既に「古典的」な型にはまった演奏形態として認識されるようになってきている。これからのこの分野でのミュージシャン達による挑戦が楽しみだ。
Eric は幾つかのドラをドラムセット右手後方に吊るし、適宜鳴らしていたが、こういうセッティングでグランド・ピアノのシアトリカルなフレーズに対応するのが新鮮だった。決まったピアノのフレーズに合わせて、ノリのいい、ライド感覚に溢れたシンバルとスネアを叩くスタイルもとても説得力がある。Eric がドライヴしようとして叩き出すと、彼が入ったバンドやユニットはいい意味で必ず「引っ張られる」ことになる。もちろん、そのドライヴ感はこれ見よがしのものではない。徹底して正しいリズム感に支えられた、もの凄く確実な演奏だ。
Eric の弾いた「水留音」と「龍音」というパーカッションは足利在住の篠崎氏が焼いた陶製の楽器だ。「水留音」は日本で制作されたものをベルリン迄運び、そこで演奏を学び、作曲していたが、今回の公演のためにわざわざ持ってきた。「龍音」の方は篠崎氏のご厚意により、今回お借りして演奏した。ともに音量は小さいがとても繊細な音がする。Eric の手にかかると、これまた日本を超えワールドな響きを出すから面白い。ミュージシャンの真の能力というものは、こういう時に明らかになる。
音楽公演の中ではかなりのマイノリティーに属するであろう Ulrike Haage + Eric Schaefer 公演に多くの来場者があり大変嬉しく思う。ご来場いただいた方々に感謝申し上げる。
photos: 前沢春美