2009年 07月 05日
Picidae (ピッキデー) + 巻上公一 熱海 起雲閣公演 |
本日、Picidae (ピッキデー) + 巻上公一による熱海公演が起雲閣で行われた。ここは熱海市の所有になる前は鳩山首相をはじめ、数人の有力政財界人のものだった。数度の増改築を繰り返した和風と洋風建築が回廊によって連なる一大邸宅だ。きれいに整えられた和風の庭を望む一画にあるミニ・コンサートホールはステージ奥、つまり観客席正面がその庭を一幅の絵を眺めるが如くに展開し、実に素晴らしい。ホールの音環境もアコースティック系の音を出すにはちょうどいい自然なエコーを導いている。今回の公演にはうってつけの場所だった。
公演は巻上公一による、シベリアの口琴、トゥヴァの弦楽器とホーメイ・歌、そして弦楽器とヴォイスによる完全インプロヴィゼーションで始まった。口琴とホーメイは彼の十八番といってもいいだろう。巧みなテクニックに裏づけされた変貌自在の演奏は、彼独特のユーモアとアヴァンギャルドさを伴って、見事に「音楽」となっていく。まさにその「なっていく」過程にこそ巻上の真骨頂がある。日本のインプロヴィゼーション・ミュージックの先端の一翼を担っているのにはわけがあるのだ。音楽とユーモアを同居させるのはできそうでなかなか難しい。シリアスさを超えた所にユーモアが控えているのだが、それは「鋭い刃」の単なる延長の上に存在するのではない。シリアスさで切って捨てるのはある意味た易い。そこからいかに掬い取って一瞬のうちにリラクゼーションに持ち込むか、ここに本当の技がある。
巻上の紹介のあと、Picidae が登場した。今日はいつもと違い、電気系の楽器やエフェクトはない。マイクは立っているものの、ライアー(竪琴)もトランペットも、限りなく原音がそのままホールに響く。アコースティックは誤魔化しが一切きかない。特に音量やミュート(消音)には気を使う。そういう緊張感がミュージシャンには要求されるのだが、Picidae はそれを自然にこなしてしまう。当然、相当の注意を払っているはずだが、それを見る者に感じさせない余裕がある。20代にして既に大物の予感がする。まだ本国ノルウェーでも新人の部類に入るデュオだが、これからずっと目が離せないような気がする。今日は珍しくアンコールが二回あった。Picidae の音楽と音楽の底に横たわる自然への素直な気持ちがご覧になった方々に届いたのだろう。
あさっては Picidae の京都公演だ。京阪神在住の方々にはライヴを聴く初めてのチャンスとなる。会場のRAG にてPicidae とともにお待ちしている。
公演は巻上公一による、シベリアの口琴、トゥヴァの弦楽器とホーメイ・歌、そして弦楽器とヴォイスによる完全インプロヴィゼーションで始まった。口琴とホーメイは彼の十八番といってもいいだろう。巧みなテクニックに裏づけされた変貌自在の演奏は、彼独特のユーモアとアヴァンギャルドさを伴って、見事に「音楽」となっていく。まさにその「なっていく」過程にこそ巻上の真骨頂がある。日本のインプロヴィゼーション・ミュージックの先端の一翼を担っているのにはわけがあるのだ。音楽とユーモアを同居させるのはできそうでなかなか難しい。シリアスさを超えた所にユーモアが控えているのだが、それは「鋭い刃」の単なる延長の上に存在するのではない。シリアスさで切って捨てるのはある意味た易い。そこからいかに掬い取って一瞬のうちにリラクゼーションに持ち込むか、ここに本当の技がある。
巻上の紹介のあと、Picidae が登場した。今日はいつもと違い、電気系の楽器やエフェクトはない。マイクは立っているものの、ライアー(竪琴)もトランペットも、限りなく原音がそのままホールに響く。アコースティックは誤魔化しが一切きかない。特に音量やミュート(消音)には気を使う。そういう緊張感がミュージシャンには要求されるのだが、Picidae はそれを自然にこなしてしまう。当然、相当の注意を払っているはずだが、それを見る者に感じさせない余裕がある。20代にして既に大物の予感がする。まだ本国ノルウェーでも新人の部類に入るデュオだが、これからずっと目が離せないような気がする。今日は珍しくアンコールが二回あった。Picidae の音楽と音楽の底に横たわる自然への素直な気持ちがご覧になった方々に届いたのだろう。
あさっては Picidae の京都公演だ。京阪神在住の方々にはライヴを聴く初めてのチャンスとなる。会場のRAG にてPicidae とともにお待ちしている。
by invs
| 2009-07-05 22:56
| Picidae