2009年 10月 28日
Terje Isungset (テリエ・イースングセット) + Unni Loevlid (ウニ・ローヴリー) 公演 - 巻上、中村 |
Terje Isungset (テリエ・イースングセット) + Unni Loevlid (ウニ・ローヴリー) 公演でTerje と共演した巻上と中村だが、Terje とのセッションは今回が三回目になる。こちらから依頼しておきながら、こういう言い方は失礼かも知れないが、毎回、インプロヴィゼーションということで、それぞれ大変だと思う。三回やって、毎回オーディエンスの注意を引き、その上できることなら説得力のある演奏をしなければならない。前回までのセッションではヴァイオリンに鈴木理恵子がいて、単純に言って演奏の負担が四分の一だったが、今回は三分の一だ。だからといって、その分ただ音を出していればいいというものではない。むしろ、どう「無音」を活かすか、という面もある。
巻上はこれまでよりテルミンを頻繁に使っていた。彼は数年前からこの楽器を新たに導入しているが、コントロールの技に更に磨きがかかってきた。もともと「雲をつかむ」ようなしぐさで音程やら音の長さ、強弱を調整する楽器で、非常に微妙な手や腕や身体の動きに反応する。これを場面場面に応じて的確にコントロールしなければならない。これは見ている以上に難しい。最近、巷では女性の人たちに簡易型テルミンがブームらしいが(ロシア民芸品マトリョーシカ風のもの、「マトリョミン」などという日本人発明品ものもある)、一度、巻上の演奏を見てもらいたい。
中村はというと、以前にも増して篳篥でのインプロが冴えていた。あれが雅楽の楽器かと思うほどだった。このインプロを聞いていなければ、篳篥についての固定概念は覆っていなかっただろう。それほど「新しい」音がしていた。もちろん、インプロでソロとおぼしき場面では、意識的に雅楽的旋律を繰り出し、メロディーのみ忽然と古式日本を登場させたりしてバランスはとっていた。篳篥は、アルメニアの縦笛ドゥドゥック(杏の木から作られる)と原理的には非常に近いとのことだが、ドゥドゥックが人間の声を思わせるのに対し、篳篥は(そして多分、中村の篳篥だからか)、自然そのまま、それが素材とする竹と葦の大きな生命力を感じさせる。
Terje のドラミングを見ていて気づいたのだが、彼はほとんど上半身(頭も含めて)を動かさない。どんなに強弱を強調した演奏であっても、背筋は伸び、安定している。別に適当に演奏しているわけではない。もうほとんど手足が勝手に動いていて、頭はいい意味で空っぽなのだ。それが現れている。
photos: 前沢春美



photos: 前沢春美
by invs
| 2009-10-28 23:41
| Terje Isungset

