2010年 11月 08日
狂言 |
久しぶりに狂言を見る機会があった。市井の人をあらわす場合は、手を腰の前あたりにつけ、腰を落とした低めの姿勢を保つ形がとられていた。声はゆっくりと、太く、低く、はっきりとしていてよく通る。身体の重心を下の方に置くことによって、安定が保たれ、発声もよくなるのだろう。
能楽狂言方和泉流の奥津健太郎と野口隆行両氏と直接話していろいろ聞いてみた。流派によって少し違いはあるものの、重心を腹のあたりに置くのは基本のようだ。京都のある流派では、鴨川の両岸に立って、発声の練習をしたのだと言う。川を隔てた相手によく聴こえるようにせりふを言わなければならない。
スイスのヨーデルは谷を越えてメッセージを交換する必要から生まれたと聞いたことがある。中国南部の少数民族には今でも日本の歌垣にあたる風俗が残っている。古代、歌の発生の前に声でのやりとりや交歓があったのは自然なことだ。
PAが普通になっている現代では、生音を聴く機会が減っている。特に声の生音はそれにふさわしい場所に行って聴くしかない。久しぶりの狂言で声の強さ(歌ではなくて、声)を改めて実感した。
能楽狂言方和泉流の奥津健太郎と野口隆行両氏と直接話していろいろ聞いてみた。流派によって少し違いはあるものの、重心を腹のあたりに置くのは基本のようだ。京都のある流派では、鴨川の両岸に立って、発声の練習をしたのだと言う。川を隔てた相手によく聴こえるようにせりふを言わなければならない。
スイスのヨーデルは谷を越えてメッセージを交換する必要から生まれたと聞いたことがある。中国南部の少数民族には今でも日本の歌垣にあたる風俗が残っている。古代、歌の発生の前に声でのやりとりや交歓があったのは自然なことだ。
PAが普通になっている現代では、生音を聴く機会が減っている。特に声の生音はそれにふさわしい場所に行って聴くしかない。久しぶりの狂言で声の強さ(歌ではなくて、声)を改めて実感した。
by invs
| 2010-11-08 12:31