2011年 06月 01日
Terje Isungset (テリエ・イースングセット)東京公演 - 「山羊に、聞く?」 |
5/27、Terje Isungset (テリエ・イースングセット)東京公演が代官山の「山羊に、聞く?」で開催された。4月にオープンしたばかりの会場には18:45 の開場と同時にお客様が来場され、開始時間の19:45にはほぼ満席となった。
今回の公演はNatural High! フェスティバルと連動し、「地球一番絞り Vol.2」と銘打って行われた。冒頭、フェスティバル主催者の鈴木氏とReal & True の大沢がご挨拶としたあと、日本在住ノルウェー人でミュージシャン、画家でもある Beatrix Fife さんに、ノルウェー文化についてレクチャーしていただいた。当日、会場では特別にノルウェー料理を用意したこともあって、お客様には大いにノルウェーを満喫いただけたのではないかと思う。

photo:前沢春美
引き続き登場したテリエ・イースングセットは、長身、細身のいかにもノルウェーらしいミュージシャンだ。ドラム用の椅子に腰掛けても、上半身が良く見えることも手伝って、どういう演奏をしているのかがよく見えた。これまで見たどのドラマーやパーカッション・プレイヤーに比べても、最も上半身が安定している。両足、両手をもの凄い速さで動かしている時でさえ、上半身は演奏の最初から最後までスッと立ち上がっている。身体に変な力を入れておらず、極めてナチュラルに、あたかも小さな子供が持っている自然体で演奏する。
使用した楽器は、二種類の口琴からはじまり、いろいろな種類の鈴、数種類の石(これを別の石で叩く)、チューブ(口から息を吹き込んで鳴らす)、吊るした木片、野生ノルウェー山羊の角笛、ハイハット用スタンドに載せた自家製パーカッション(鈴、その他)、小さな鈴を載せてある古びたスネア・ドラム(持参)、そのスネアにぶら下げた二種類の自家製パーカッション(鈴、その他)群、フロア・タム、バス・ドラム(ノルウェーのものを持参、古いブラスバンド用の大型で厚いタイプ)などまでとても多彩だ。ドラム・スティックは木片を幾つか束ねた自家製のものを持参していた。これらを縦横無尽に駆使して演奏する。
楽器が多いからといって、それらに頼った演奏ではない。全体として一つのハーモニーなりストーリーが自然に展開していく、とても見がい、聴きがいのある音楽だ。ドラマ性があると言ってもいい。毎回インプロヴィゼーションでなされるので、演奏はその都度変わるのだが、テリエが提示する世界観には一貫性がある。どこまでいっても自我が感じられない。本当に空から降ってくるような、本人が音楽の伝導体と化したかのような清らかさがある。演奏を聴いていると、こちらが浄化されるような感じだ。
かつて、古代、アニミズムの世界で音を使って表現したものがあるとすれば、それはテリエの演奏に近いものではないだろうか。現代のこの複雑怪奇な世にあって、世俗の垢にまみれることなく、淡々と自然のメッセージを届けている。
テリエに真の音楽の、或いは音楽になる以前の「音」の心性を見た。
角笛を吹く

石を叩く photos:前沢春美 (会場がかなり暗いため、写真も暗い)
今回の公演はNatural High! フェスティバルと連動し、「地球一番絞り Vol.2」と銘打って行われた。冒頭、フェスティバル主催者の鈴木氏とReal & True の大沢がご挨拶としたあと、日本在住ノルウェー人でミュージシャン、画家でもある Beatrix Fife さんに、ノルウェー文化についてレクチャーしていただいた。当日、会場では特別にノルウェー料理を用意したこともあって、お客様には大いにノルウェーを満喫いただけたのではないかと思う。

photo:前沢春美
引き続き登場したテリエ・イースングセットは、長身、細身のいかにもノルウェーらしいミュージシャンだ。ドラム用の椅子に腰掛けても、上半身が良く見えることも手伝って、どういう演奏をしているのかがよく見えた。これまで見たどのドラマーやパーカッション・プレイヤーに比べても、最も上半身が安定している。両足、両手をもの凄い速さで動かしている時でさえ、上半身は演奏の最初から最後までスッと立ち上がっている。身体に変な力を入れておらず、極めてナチュラルに、あたかも小さな子供が持っている自然体で演奏する。
使用した楽器は、二種類の口琴からはじまり、いろいろな種類の鈴、数種類の石(これを別の石で叩く)、チューブ(口から息を吹き込んで鳴らす)、吊るした木片、野生ノルウェー山羊の角笛、ハイハット用スタンドに載せた自家製パーカッション(鈴、その他)、小さな鈴を載せてある古びたスネア・ドラム(持参)、そのスネアにぶら下げた二種類の自家製パーカッション(鈴、その他)群、フロア・タム、バス・ドラム(ノルウェーのものを持参、古いブラスバンド用の大型で厚いタイプ)などまでとても多彩だ。ドラム・スティックは木片を幾つか束ねた自家製のものを持参していた。これらを縦横無尽に駆使して演奏する。
楽器が多いからといって、それらに頼った演奏ではない。全体として一つのハーモニーなりストーリーが自然に展開していく、とても見がい、聴きがいのある音楽だ。ドラマ性があると言ってもいい。毎回インプロヴィゼーションでなされるので、演奏はその都度変わるのだが、テリエが提示する世界観には一貫性がある。どこまでいっても自我が感じられない。本当に空から降ってくるような、本人が音楽の伝導体と化したかのような清らかさがある。演奏を聴いていると、こちらが浄化されるような感じだ。
かつて、古代、アニミズムの世界で音を使って表現したものがあるとすれば、それはテリエの演奏に近いものではないだろうか。現代のこの複雑怪奇な世にあって、世俗の垢にまみれることなく、淡々と自然のメッセージを届けている。
テリエに真の音楽の、或いは音楽になる以前の「音」の心性を見た。


by invs
| 2011-06-01 10:54
| Terje Isungset