2011年 09月 28日
Peter Hammill - 日本公演を終えて |
9/21-25 に行われた Peter Hammill 日本公演(大阪、東京)について感想を書いておく。
来日のたびに新たなチャレンジを自ら課しているPeter にとって、今年は今まで以上に難しいハードル設定をしたように思う。何しろ、東京の4 公演で一曲もリピートしないとか、それに加えて前回の東京公演では演奏しなかった曲を毎日3曲新たに演奏するというのだ。いくら Peter の持ち歌が多いからといって、世界各地の公演で一度もやったことのない試みだ。言うほど実行するのは簡単ではない。特に留意すべきは Peter が一曲通しのリハーサルを決してしないということだ。それは本番前のステージ上だけではなく、その前、つまり自宅や自宅敷地内にあるスタジオでもしない。リハをしないで、リピートなしのセットリストを 4公演も、それも毎日続けてできるのか。
通常、一公演あたり 16 曲程度のセットリストとなっているから、4 公演では 64 曲になる。特別アンコールも入れれば、それよりも増えることも想定しておかねばならない。いくら一部は歌詞を見ながら歌うとはいっても、64 というのは大きな数字だ。ピアノやギターのコード、フレーズ、リフなども覚えておく必要がある。考え込んでしまうような人にとってはとんでもない数の曲だ。
ところが、そこはPeter、そういう形で悩んだりはしない。"Now", "This", "Present" などを歌詞や曲名としてよく使う彼だ。先のことを変に意識して行き詰まることはない。まさに、今、目の前にあることにのみ極力集中していく。自らを無意識("Unconscious" の歌詞もある)の領域にスムースに持ち込んで、無意識が持っている大きな力を利用する。これは想像だが、Peter は一方で、例えばステージ外では大変意識的に活動するかたわら、演奏の現場、つまりライヴの時はステージ上で限りなく無意識世界に入り込んでいるように思う。
多分、それだからこそ、Pit Inn 公演で "Sleep Now"を歌った時、感情が入り込み、「不覚にも」涙したPeter は「動揺して」しまい、演奏に揺れが現れたのだろう。後で聞いたところ、「手の中に入るくらいの小さな赤ん坊(Peter の娘)を思い出したため」と言っていた。確かに、人を感動させるためには、本人が過剰に感動に浸ったのではうまくいかない。むしろ無意識に没入した方が説得力が増す。
そういう意味で、ライヴを重視するPeter にとって、ステージ上で起こることはそれ自体に意味が出てくる。例えば、ピアノやギターで演奏していて間違える。彼はそれはそれで評価する。間違えても、それが真実だからだ。だから、新譜 "PNO, GTR, VOX" には間違った演奏が、編集で訂正されたりせず、そのまま収録されている。「間違った演奏のあと、その影響で別の演奏が起きる。それがいいこともある」と語っていたことにそれは現れている。ここはちょうどノルウエーのバンド Farmers Market のリーダー Stian Carstensen が言っていたことに通じる。「ステージで間違えたら、それを曲の一部にしてしまう」と。
偶然の間違いは、その扱い方次第によっては「間違い」を超えて別の次元を導く。これは言い訳などではない。ライヴの真髄は、偶然に対するアーティストの態度によって、普段見えない世界が垣間見えることにある。ここを意識的にコントロールし過ぎてしまうと、「何も間違ってはいないがつまらない」演奏になってしまう。もちろん、だからといって間違えていいという開き直りはいけない。演奏についての最大限の努力はして、でもその後は偶然の美を快く受け止める度量を持つ、ということだ。そこには「破れ」がある。
Peter のステージを見ていると、その「破れ」が全体の緊張感に微妙な美を与えていることがわかる。ピアノやギターの演奏はそれだけ見ると技術的に特別凄いというものはない。でも、そこに彼独特のヴォーカルがのるとどうだ。決して誰もマネのできない、大げさに言えば超現実的ともいえる世界が出現する。
最終公演の日、それも一番最初の曲で、「誤って」前の3日間で一度弾いたことのある曲を弾きだしてしまったのに気が付いたPeter は、そこでやめず、曲の最後まで演奏した。同日ステージに出る直前に決めたセットリストでせっかくリピート曲がないようにしていたにもかかわらずだ。この偶然を彼はどう思ったかわからないが、その後の曲における圧倒的なパーフォーマンスに、それが影響したのかも知れない。「誤った」時点で気落ちしていたら、あの壮絶な演奏とよく伸びたヴォーカルを聴くことはできなかっただろう。むしろ、誤りをバネにしたように思う。
東京公演最終日の最後は "House with No Door" で締められた。この曲がPeter の若い時の気持ちを歌ったものかどうかはわからない。もしそうだとしたら、今の彼が Door を「破って」unconscious life を知り、This と Now の重要性を確信しながらも、"Undone" の境地を迎えるに至ったことを考えると、一生懸命に生きてきた彼の真摯な生き方に強い共感を覚える。
音楽を使いながらも、音楽を超えた思想を伝えることができる。それが本物のミュージシャンだ。
photos 前沢春美 (9/25公演)

通常、一公演あたり 16 曲程度のセットリストとなっているから、4 公演では 64 曲になる。特別アンコールも入れれば、それよりも増えることも想定しておかねばならない。いくら一部は歌詞を見ながら歌うとはいっても、64 というのは大きな数字だ。ピアノやギターのコード、フレーズ、リフなども覚えておく必要がある。考え込んでしまうような人にとってはとんでもない数の曲だ。
ところが、そこはPeter、そういう形で悩んだりはしない。"Now", "This", "Present" などを歌詞や曲名としてよく使う彼だ。先のことを変に意識して行き詰まることはない。まさに、今、目の前にあることにのみ極力集中していく。自らを無意識("Unconscious" の歌詞もある)の領域にスムースに持ち込んで、無意識が持っている大きな力を利用する。これは想像だが、Peter は一方で、例えばステージ外では大変意識的に活動するかたわら、演奏の現場、つまりライヴの時はステージ上で限りなく無意識世界に入り込んでいるように思う。
多分、それだからこそ、Pit Inn 公演で "Sleep Now"を歌った時、感情が入り込み、「不覚にも」涙したPeter は「動揺して」しまい、演奏に揺れが現れたのだろう。後で聞いたところ、「手の中に入るくらいの小さな赤ん坊(Peter の娘)を思い出したため」と言っていた。確かに、人を感動させるためには、本人が過剰に感動に浸ったのではうまくいかない。むしろ無意識に没入した方が説得力が増す。
そういう意味で、ライヴを重視するPeter にとって、ステージ上で起こることはそれ自体に意味が出てくる。例えば、ピアノやギターで演奏していて間違える。彼はそれはそれで評価する。間違えても、それが真実だからだ。だから、新譜 "PNO, GTR, VOX" には間違った演奏が、編集で訂正されたりせず、そのまま収録されている。「間違った演奏のあと、その影響で別の演奏が起きる。それがいいこともある」と語っていたことにそれは現れている。ここはちょうどノルウエーのバンド Farmers Market のリーダー Stian Carstensen が言っていたことに通じる。「ステージで間違えたら、それを曲の一部にしてしまう」と。
偶然の間違いは、その扱い方次第によっては「間違い」を超えて別の次元を導く。これは言い訳などではない。ライヴの真髄は、偶然に対するアーティストの態度によって、普段見えない世界が垣間見えることにある。ここを意識的にコントロールし過ぎてしまうと、「何も間違ってはいないがつまらない」演奏になってしまう。もちろん、だからといって間違えていいという開き直りはいけない。演奏についての最大限の努力はして、でもその後は偶然の美を快く受け止める度量を持つ、ということだ。そこには「破れ」がある。
Peter のステージを見ていると、その「破れ」が全体の緊張感に微妙な美を与えていることがわかる。ピアノやギターの演奏はそれだけ見ると技術的に特別凄いというものはない。でも、そこに彼独特のヴォーカルがのるとどうだ。決して誰もマネのできない、大げさに言えば超現実的ともいえる世界が出現する。
最終公演の日、それも一番最初の曲で、「誤って」前の3日間で一度弾いたことのある曲を弾きだしてしまったのに気が付いたPeter は、そこでやめず、曲の最後まで演奏した。同日ステージに出る直前に決めたセットリストでせっかくリピート曲がないようにしていたにもかかわらずだ。この偶然を彼はどう思ったかわからないが、その後の曲における圧倒的なパーフォーマンスに、それが影響したのかも知れない。「誤った」時点で気落ちしていたら、あの壮絶な演奏とよく伸びたヴォーカルを聴くことはできなかっただろう。むしろ、誤りをバネにしたように思う。
東京公演最終日の最後は "House with No Door" で締められた。この曲がPeter の若い時の気持ちを歌ったものかどうかはわからない。もしそうだとしたら、今の彼が Door を「破って」unconscious life を知り、This と Now の重要性を確信しながらも、"Undone" の境地を迎えるに至ったことを考えると、一生懸命に生きてきた彼の真摯な生き方に強い共感を覚える。
音楽を使いながらも、音楽を超えた思想を伝えることができる。それが本物のミュージシャンだ。

by invs
| 2011-09-28 22:43
| Peter Hammill

