2012年 09月 10日
Mats Eilertsen "SkyDive" 公演二日目感想 |
9/7、Mats Eilertsen "SkyDive" 公演二日目、新宿 Pit Inn での演奏について感想を書いておく。
この日は、前日に続き、オープニング・アクトの演奏、オープニング・アクトとMats Eilertsen+Fredrick Lundin のセッション、そしてMatsのバンドのライヴという三部構成だった。但し、オープニングとセッションはピアニストの佐藤允彦が加わり、三名で行われた。
ライヴの最初から、佐藤の参加により、まったく新たな命が吹き込まれた新生物が登場した。速い、パーカッシヴな破裂音をひきも切らずに、これでもかと繰り出してくる佐藤が、この三名のインプロ・ユニットを駆動する。インプロながら、そこかしかにあたかも決められたかのような場面が現出する。太田、今堀も、別次元の創造力が現れ、昨日とはかなり違った演奏をしている。これだからインプロは面白い。即興という言葉の字面が持つ軽さは微塵もない。「興」が起きるかどうかなど、際限なく続く「今」に集中すればするほど大した問題ではなくなる。さすが佐藤允彦、引っ張り方が違う。ちぎるように鍵盤上を浮遊しながら、かた時のコンテクストを構成していく。セッションではMats のベースをよく聴き、即応するとともに、時には収束しそうになるものを崩す。爽快という言葉が浮かんだ。
Mats Eilertsenのバンドは、二日目のせいか、よりリラックスして演奏している。予め緻密に作曲されたものが多いとはいえ、インプロもかなりの量だ。少しづつテンションを積み上げ、バンド総体としての頂点へと持ち込む。そういう構成が得意ではないか。平面的に各楽器のソロを散りばめるのではなく、あくまでバンド全体の調和を考える。彼のフィロソフィーはここにある。
バンドは初日より更に増えたオーディエンスに喜び、ステージでの演奏も長めになる。CDでは聴けないたっぷりのインプロに充実した時間を感じた方も多かったであろう。ここはやはりライヴの醍醐味だ。一回だけの勝負にすべてを注ぎ込むミュージシャンを見出すことほど、あるべき人間の姿を考えさせるものはない。
この日は、前日に続き、オープニング・アクトの演奏、オープニング・アクトとMats Eilertsen+Fredrick Lundin のセッション、そしてMatsのバンドのライヴという三部構成だった。但し、オープニングとセッションはピアニストの佐藤允彦が加わり、三名で行われた。
ライヴの最初から、佐藤の参加により、まったく新たな命が吹き込まれた新生物が登場した。速い、パーカッシヴな破裂音をひきも切らずに、これでもかと繰り出してくる佐藤が、この三名のインプロ・ユニットを駆動する。インプロながら、そこかしかにあたかも決められたかのような場面が現出する。太田、今堀も、別次元の創造力が現れ、昨日とはかなり違った演奏をしている。これだからインプロは面白い。即興という言葉の字面が持つ軽さは微塵もない。「興」が起きるかどうかなど、際限なく続く「今」に集中すればするほど大した問題ではなくなる。さすが佐藤允彦、引っ張り方が違う。ちぎるように鍵盤上を浮遊しながら、かた時のコンテクストを構成していく。セッションではMats のベースをよく聴き、即応するとともに、時には収束しそうになるものを崩す。爽快という言葉が浮かんだ。
Mats Eilertsenのバンドは、二日目のせいか、よりリラックスして演奏している。予め緻密に作曲されたものが多いとはいえ、インプロもかなりの量だ。少しづつテンションを積み上げ、バンド総体としての頂点へと持ち込む。そういう構成が得意ではないか。平面的に各楽器のソロを散りばめるのではなく、あくまでバンド全体の調和を考える。彼のフィロソフィーはここにある。
バンドは初日より更に増えたオーディエンスに喜び、ステージでの演奏も長めになる。CDでは聴けないたっぷりのインプロに充実した時間を感じた方も多かったであろう。ここはやはりライヴの醍醐味だ。一回だけの勝負にすべてを注ぎ込むミュージシャンを見出すことほど、あるべき人間の姿を考えさせるものはない。
by invs
| 2012-09-10 20:15
| Mats Eilertsen