2013年 05月 10日
Steinar Raknes - 生い立ち、音楽 |
日本ツアー中のSteinar Raknes に話を聞いた。
彼が育った島は人口2000人ぐらいの島だが、大きな山がたくさんあり自然に恵まれている。彼は教師をつとめていた父と看護婦だった母が持っていた牧場で、小さい頃から父親の作業を手伝いながら育った。最初はギターを弾き、次にエレクトリック・ベースを弾いたが、エレクトリックにはどうしてもなじめなかった。ところが、14-15才の時にダブルベースを手にしたときはすぐにうまくなった。最初は学校で教えたクラシック曲をコピーしていたが、耳で覚えたチャーリー・ミンガスのソロを教師の前で披露したら、Steinar のみ違う教え方に変わった。
最終的には、音楽の名門トロンハイム音楽院に進んでジャズを勉強したが、Bob Dylan の曲をやったりしていて変な学生だった。ジャズとしては、音楽院の仲間で作ったバンドが The Core になった。最近では自分のバンドSteinar Raknes Quartet のライヴ・アルバム(2011年12月東京で録音)が大変高い評価を得ている他、もう一つ別のバンド Urban Connection のライヴ・アルバムも好評価を得ている。両方のアルバムとも収録された曲の作曲は全てSteinar がやっている。
彼が育った島は人口2000人ぐらいの島だが、大きな山がたくさんあり自然に恵まれている。彼は教師をつとめていた父と看護婦だった母が持っていた牧場で、小さい頃から父親の作業を手伝いながら育った。最初はギターを弾き、次にエレクトリック・ベースを弾いたが、エレクトリックにはどうしてもなじめなかった。ところが、14-15才の時にダブルベースを手にしたときはすぐにうまくなった。最初は学校で教えたクラシック曲をコピーしていたが、耳で覚えたチャーリー・ミンガスのソロを教師の前で披露したら、Steinar のみ違う教え方に変わった。
最終的には、音楽の名門トロンハイム音楽院に進んでジャズを勉強したが、Bob Dylan の曲をやったりしていて変な学生だった。ジャズとしては、音楽院の仲間で作ったバンドが The Core になった。最近では自分のバンドSteinar Raknes Quartet のライヴ・アルバム(2011年12月東京で録音)が大変高い評価を得ている他、もう一つ別のバンド Urban Connection のライヴ・アルバムも好評価を得ている。両方のアルバムとも収録された曲の作曲は全てSteinar がやっている。
by invs
| 2013-05-10 14:40
| Steinar Raknes