2013年 09月 02日
Steinar Raknes 公演 - 感想 |
ノルウェーのシンガー、ベース奏者の Steinar Raknes 日本公演について書いておく。
ツアーは8/21が東京、8/22が上越市、8/23 が斑尾高原という日程だった。時差ボケがある中、真夏の日本で連日移動しながら演奏するのは大変だ。でも、ライヴを人生の生きがいの一つとして一年の30-40%を過ごす彼にとっては、「疲れたら演奏する」というのも知恵のうちだ。
初日の東京は日本到着日のライヴとあって、身体のコンディションはベストではなかったが、一人ベース弾き語りという珍しいスタイルでの公演を成功させた。満員の会場で熱心に聴き入るオーディエンスを前に、Steinar の渋い歌声がよく通る。二日目の上越市はPA・マイク類一切なしの完全アコースティック公演だったが、小ホールの音の良さもあって、Steinar の「完全一人芝居」は高度な音楽性に支えられ、会場で涙する人もあった。ツアー最終日の斑尾は、Steinar に「ノルウェーを思い出させる」山中にあり、東京の猛暑を忘れさせた。会場は当初予想以上にオーディエンスが集まり、夜遅くまで楽しむ一体感のある公演だった。ジャズ・ファンとおぼしき方もおられ、Steinar のジャズ的フレーズに「ジャズ拍手」で応えていたのが面白かった。
以下、ツアー全体を通じて感じたSteinar の音楽について印象を記しておく。ダブルベースと声の使い方が丹念で、楽器一つ、それもギターのようにコード系の音をあまり出せない楽器で、よくあそこまで説得力のある演奏ができるものだ。これは前回公演でも感じたが、ダブルベースの高音部の使い方、ベースの四弦を使った和音構成、ヴォーカルとの調和と緊張を勘案したハーモナイゼーション、導入部や間奏部などで時折使うジャズのフレーズやインプロヴィゼーション、など彼ならではの特徴だ。もちろん、他のプレイヤーでも同様の試みは多数なされているのだが、Steinar はそれぞれの吟味の仕方が徹底している。
これらはみなSteinar の作曲能力に負うところが大きいと思う。カヴァー曲にしても、大胆に換骨堕胎されている。それでも原曲のエッセンスはしっかりと残し、曲を知っている人に「誰の曲かわからない」とは言わせない。カヴァー曲において原作曲家が本質だと思っているところを尊重した上で、Steinar としてのカラーを打ち出しながら、全体の曲としては「むしろ新曲」に限りなく近いアレンジを施す。このあたりの手加減がSteinar の真骨頂ではないか。
Steinar のオリジナル曲も、ライヴで選ばれたカヴァー曲にひけをとらない。世界的名曲に伍して演奏できるというのも、Steinar の作曲家としての力量を表している。実際、Steinar はシンガーとしてデビューする前にもジャズのダブルベース・プレイヤーとしての作曲能力を発揮していた。途中「休憩」があったものの、長年続けているUrban Connection というバンドや、自身のカルテット Steinar Raknes Quartet では他のメンバーをおさえて最も多くの楽曲を作曲している。また、Skaidi という北欧少数民族のサーミ族女性シンガーとデュオを組んでいるが、はるか昔から伝えられたサーミの独唱「ヨイク」にモダンな音楽的枠組を与える編曲はお手の物だ。
ダブルベース弾き語りでデビューしたのは数年前に過ぎないが、その基本には長年培われたSteinar の作曲能力がある。単にうまいプレイヤーであっただけでは、カヴァー曲やオリジナルをあそこまで輝かせることはできないだろう。

photos: 前沢春美 - 東京公演

初日の東京は日本到着日のライヴとあって、身体のコンディションはベストではなかったが、一人ベース弾き語りという珍しいスタイルでの公演を成功させた。満員の会場で熱心に聴き入るオーディエンスを前に、Steinar の渋い歌声がよく通る。二日目の上越市はPA・マイク類一切なしの完全アコースティック公演だったが、小ホールの音の良さもあって、Steinar の「完全一人芝居」は高度な音楽性に支えられ、会場で涙する人もあった。ツアー最終日の斑尾は、Steinar に「ノルウェーを思い出させる」山中にあり、東京の猛暑を忘れさせた。会場は当初予想以上にオーディエンスが集まり、夜遅くまで楽しむ一体感のある公演だった。ジャズ・ファンとおぼしき方もおられ、Steinar のジャズ的フレーズに「ジャズ拍手」で応えていたのが面白かった。

これらはみなSteinar の作曲能力に負うところが大きいと思う。カヴァー曲にしても、大胆に換骨堕胎されている。それでも原曲のエッセンスはしっかりと残し、曲を知っている人に「誰の曲かわからない」とは言わせない。カヴァー曲において原作曲家が本質だと思っているところを尊重した上で、Steinar としてのカラーを打ち出しながら、全体の曲としては「むしろ新曲」に限りなく近いアレンジを施す。このあたりの手加減がSteinar の真骨頂ではないか。
Steinar のオリジナル曲も、ライヴで選ばれたカヴァー曲にひけをとらない。世界的名曲に伍して演奏できるというのも、Steinar の作曲家としての力量を表している。実際、Steinar はシンガーとしてデビューする前にもジャズのダブルベース・プレイヤーとしての作曲能力を発揮していた。途中「休憩」があったものの、長年続けているUrban Connection というバンドや、自身のカルテット Steinar Raknes Quartet では他のメンバーをおさえて最も多くの楽曲を作曲している。また、Skaidi という北欧少数民族のサーミ族女性シンガーとデュオを組んでいるが、はるか昔から伝えられたサーミの独唱「ヨイク」にモダンな音楽的枠組を与える編曲はお手の物だ。
ダブルベース弾き語りでデビューしたのは数年前に過ぎないが、その基本には長年培われたSteinar の作曲能力がある。単にうまいプレイヤーであっただけでは、カヴァー曲やオリジナルをあそこまで輝かせることはできないだろう。


by invs
| 2013-09-02 09:40
| Steinar Raknes