2013年 12月 09日
Ulrike Haage ピアノ・ソロ公演 -感想 |
10/12 に開催されたUlrike Haage 公演について感想を書いておく。会場は青山・赤坂にある東京ドイツ文化センター内にあるドイツ文化会館ホールだった。東京ドイツ文化センターのご後援を得てのコンサートだ。会場のピアノは(ちょっと癖のある)スタインウエイだ。
オープニングは平松良太によるピアノ・ソロだった。既にこれまで何回かReal & True Live Series に出演している平松だが、毎回新鮮な驚きがあり目が離せない。インプロヴィゼーションが同時に作曲になるというのはイギリスのKeith Tippett も言っているが、平松も弾いている端から曲が立ち上がってくる。幅広い「曲想」というべきものが内側にある。曲想の起こりと同時に自動的に右手と左手が動いていく。緊張と和らぎのバランスがいい。
「楽章」と思わしき幾つかの独立した音の流れがある。安定したリズムの上に和音を載せ、移調の心地よさを創り出す。自動作曲の才能があり、かつ生まれ出た音が人を飽きさせない。序破急の構成が自ずから姿を現し、転調で美しさが際立つ。リズムも三拍子、四拍子、変拍子の使い分けを曲調に従って行う。予め作曲したものでなくこれをこなしていくのは技術だけではできない。曲調も、ジャズ、クラシック、オールドタイム風、アヴァン、モダン・クラシックなど縦横に展開する。全体としてとてもいい内容の演奏だった。
休憩(この時ピアノの再調律)の後、Ulrike Haage がステージに昇った。今回の来日は二回目になる。もともと日本に大変興味を抱いていたミュージシャンだが、日本でのアーティスト・イン・レジデンスを含め長期滞在を経て、日本に対する理解は更に深まったようだ。ベルリンで幅広く活動する彼女にとって、世の中のすべての出来事は興味深いが、日本とその文化には普通レベル以上の関心がある。日本語を結構覚えただけでなく、何と自宅では墨と筆で習字までやっている。実際書いたものを見せてもらったが、日本人にひけをとらない。
この日の演奏は、ミニマルな、音数を絞った形で始まった。左手で弾く単音のベースラインを根音として、右手で若干のシンプルなコードか単音をのせる。音の展開を抑え、転調もない。プリペアード・ピアノで作り出したベースとしての根音を弾きながら、右手は木琴のバチを握り、ピアノの弦を直接ロールするようにタッチしたり、指で直接弦をつまんではじくこともした。無機質的な感覚をアナログ手法で紡ぎだす。このあたりはドイツを感じさせる。全体として平松とは対照的だ。単純化していえば、この対照とは、ワンコード対転調、反復対一回限り、グレー対マルチカラー、部分連続対全体構成となる。もちろん、あくまでわかりやすく表現した場合だ。
Ulrike の演奏はどこか映画のバックに流れるサウンドトラックもイメージさせる。そこに何か別の主役がいるかのように、ピアノはあくまで脇役にいるような、でもだからといってその存在ははっきりしている。そういう感じだろうか。彼女がチベット・ベルの一つを右手に持ち、もう片方を口に咥え、二つを打ち鳴らすと、そこには目に見えないスピリットが登場する。アニミズム由来の巫女とは異なるが、どこか別世界への案内人を思わせる。理知的だが、向こうへ連れて行く。巫女は知らないうちに巻き込むが、彼女は説得する。
ピアノ・ソロ演奏の奥深さを再確認した公演だった。
photos: 佐藤隆志
オープニングは平松良太によるピアノ・ソロだった。既にこれまで何回かReal & True Live Series に出演している平松だが、毎回新鮮な驚きがあり目が離せない。インプロヴィゼーションが同時に作曲になるというのはイギリスのKeith Tippett も言っているが、平松も弾いている端から曲が立ち上がってくる。幅広い「曲想」というべきものが内側にある。曲想の起こりと同時に自動的に右手と左手が動いていく。緊張と和らぎのバランスがいい。
「楽章」と思わしき幾つかの独立した音の流れがある。安定したリズムの上に和音を載せ、移調の心地よさを創り出す。自動作曲の才能があり、かつ生まれ出た音が人を飽きさせない。序破急の構成が自ずから姿を現し、転調で美しさが際立つ。リズムも三拍子、四拍子、変拍子の使い分けを曲調に従って行う。予め作曲したものでなくこれをこなしていくのは技術だけではできない。曲調も、ジャズ、クラシック、オールドタイム風、アヴァン、モダン・クラシックなど縦横に展開する。全体としてとてもいい内容の演奏だった。

この日の演奏は、ミニマルな、音数を絞った形で始まった。左手で弾く単音のベースラインを根音として、右手で若干のシンプルなコードか単音をのせる。音の展開を抑え、転調もない。プリペアード・ピアノで作り出したベースとしての根音を弾きながら、右手は木琴のバチを握り、ピアノの弦を直接ロールするようにタッチしたり、指で直接弦をつまんではじくこともした。無機質的な感覚をアナログ手法で紡ぎだす。このあたりはドイツを感じさせる。全体として平松とは対照的だ。単純化していえば、この対照とは、ワンコード対転調、反復対一回限り、グレー対マルチカラー、部分連続対全体構成となる。もちろん、あくまでわかりやすく表現した場合だ。
Ulrike の演奏はどこか映画のバックに流れるサウンドトラックもイメージさせる。そこに何か別の主役がいるかのように、ピアノはあくまで脇役にいるような、でもだからといってその存在ははっきりしている。そういう感じだろうか。彼女がチベット・ベルの一つを右手に持ち、もう片方を口に咥え、二つを打ち鳴らすと、そこには目に見えないスピリットが登場する。アニミズム由来の巫女とは異なるが、どこか別世界への案内人を思わせる。理知的だが、向こうへ連れて行く。巫女は知らないうちに巻き込むが、彼女は説得する。

photos: 佐藤隆志
by invs
| 2013-12-09 13:42
| Ulrike Haage