2015年 01月 24日
In the Country - 映画ライヴ - 小説家 Hamsun |
面白いことが起きた。偶然が必然と思えるのはこういう時だ。
ノルウェーのバンド In the Country の来日ツアーまであと 2 週間ほどだが、このツアーではノルウェーで1920年代に製作されたサイレント映画を上映しながらライヴ演奏をする公演が二回(東京+上越)ある。映画はノルウェーの文学者 Knut Hamsun(クヌート・ハムスン)が書いた作品「土の恵み」(和訳書邦題、原題は Markens Grøde)をベースにしている。東京公演は、北欧映画を毎年積極的に紹介しているトーキョー・ノーザンライツ・フェスティバルの一環として開催される。 一方、この映画+ライヴ公演とは直接関係なく、ノルウェー中部(といっても北極圏)北に位置するBodøという町で開催されているBodø Jazz Open に招待され、今朝ほどまで四日間滞在していた。フェスティヴァルは海岸に位置するこの港町で毎年開催されている。
Bodø Jazz Open には北部ノルウェーのジャズ振興団体も関わっており、この地域出身のアーティストをサポートしている。昨日朝、この団体の会長(Bodø市の政治家が兼ねる)の案内で、Bodø から小型バスとフェリーで1時間半ぐらいのところにある小さな入り江の村 Kjerringøy (シェリンゴイ)を訪れた。会長の話を聞くまでどのような所に行くのかまったく知らなかった。
この村は1600年代に船貸しと市場があったことが確認されているが、近世(日本の江戸時代)には交易所として大きく発展した。 Kjerringøy には今でも1800年代の建物と部屋がほぼそのままの形で残されている。もともと近くの海ではタラが良く獲れ、交易所の所有者はタラの加工品(干しタラ)やニシン類をノルウェーの他の町やヨーロッパ他所(ポルトガル、イタリアなど)に売ったり、宿泊所や物品販売、船貸し、金貸しなどの商売も行っていて、莫大な利益を上げていた。 photo: Harald Groven
1879年6月、作家のKnut Hamsun は19才の時(当時は教師をしていた)、交易所の所有者 Erasmus Benedicter (Benedigt) Kjerschow (Kjerskov)Zahl 氏に手紙を書き、お金の工面を依頼、同氏から面会に来るように言われ Kjerringøy 交易所を訪れた。Hamsunは17歳で縄職人の徒弟となり、小説の執筆を始めたと言われているが、もともと貧乏な家に生まれていて生活に困っていた。裕福なZahl 氏は訪ねてきたHamsun に彼の収入一年分以上の現金を貸し、これでHamsunは小説を書けるようになった。ところが、その後、Zahl 氏より返済を求められたが、賃借契約をした当時 19才であったことから(当時は 21才以上が契約当事者になれた)契約自体が無効であるとHamsun の弁護士からZahl 氏へ連絡があり、結局返済されなかった(Kjerringøy交易所跡博物館のキュレーターの話)。
昨日見た Kjerringøy 交易所跡博物館の敷地には実にHamsun の胸像まであった。返済しなかったノベール文学賞受賞者の像が踏み倒された側のオーナー所有地跡にあるのは何とも皮肉だ。
交易所跡博物館を見学した跡、近くにある交易所農場跡にある店で昼食をとったが、店名にはHamsun に因んで "Markens Grøde" (土の恵み)と掲げられていた。
偶然は面白い。In the Country の来日ライヴもきっと面白い偶然で彩られることだろう。
ノルウェーのバンド In the Country の来日ツアーまであと 2 週間ほどだが、このツアーではノルウェーで1920年代に製作されたサイレント映画を上映しながらライヴ演奏をする公演が二回(東京+上越)ある。映画はノルウェーの文学者 Knut Hamsun(クヌート・ハムスン)が書いた作品「土の恵み」(和訳書邦題、原題は Markens Grøde)をベースにしている。東京公演は、北欧映画を毎年積極的に紹介しているトーキョー・ノーザンライツ・フェスティバルの一環として開催される。
Bodø Jazz Open には北部ノルウェーのジャズ振興団体も関わっており、この地域出身のアーティストをサポートしている。昨日朝、この団体の会長(Bodø市の政治家が兼ねる)の案内で、Bodø から小型バスとフェリーで1時間半ぐらいのところにある小さな入り江の村 Kjerringøy (シェリンゴイ)を訪れた。会長の話を聞くまでどのような所に行くのかまったく知らなかった。
この村は1600年代に船貸しと市場があったことが確認されているが、近世(日本の江戸時代)には交易所として大きく発展した。 Kjerringøy には今でも1800年代の建物と部屋がほぼそのままの形で残されている。もともと近くの海ではタラが良く獲れ、交易所の所有者はタラの加工品(干しタラ)やニシン類をノルウェーの他の町やヨーロッパ他所(ポルトガル、イタリアなど)に売ったり、宿泊所や物品販売、船貸し、金貸しなどの商売も行っていて、莫大な利益を上げていた。
昨日見た Kjerringøy 交易所跡博物館の敷地には実にHamsun の胸像まであった。返済しなかったノベール文学賞受賞者の像が踏み倒された側のオーナー所有地跡にあるのは何とも皮肉だ。
交易所跡博物館を見学した跡、近くにある交易所農場跡にある店で昼食をとったが、店名にはHamsun に因んで "Markens Grøde" (土の恵み)と掲げられていた。
偶然は面白い。In the Country の来日ライヴもきっと面白い偶然で彩られることだろう。
by invs
| 2015-01-24 19:26
| In the Country