2015年 06月 27日
Norma Winstone のプロモーション・ヴィデオ |
Norma Winstone のプロモーション・ヴィデオがある。5 年前に Universal Music France が公開したものなので少々古いが、トリオの生い立ちやECMレーベルのManfred Eicher のことなど、いろいろ興味深い。
全編、ヴィデオと写真、いろいろな曲の抜粋で構成されていて、Norma がナレーションしている。
以下、ナレーションの和訳を載せる。[ ] 内は補足だ。
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このバンドの生い立ちについて語るにはセレンディピティーという言葉が相応しいと思う。
1988年、最初にGlauco に会ったのは、あるレコーディング・プロジェクトに誘われた時だった。数年後、あるエージェントからGlauco と Klaus と一緒にコンサートをしないかと連絡があった。Glauco と Klaus は 1996 年に南フランスの Vienne で出会っていた。そこでGlauco はコンペの審査員をしていたが、Klaus がソロ賞を受賞したのだと思う。
[イタリアの]Udine の近くで開催されるコンサートに一緒に参加しないかという話だった。私が入った時点で、二人は不思議にも他の二人がどのような演奏をするのか既に知っているかのようだった。リズム的に、ビートがどこに来るのかはまったく確かではない。普通のテンポで演奏していても、時々、ほとんどクラシック音楽のように一小節の長さを伸ばしたりする。
数年のうちに幾つかのコンサートをした後、スタジオ環境ではいったいどういう音になるのかを確認するため、レコーディングをすることを決めた。Glauco とKlaus がそれぞれ作曲したものを持って私の家に来て、どれがバンドに合うかアイデアを出し合った。いい曲になりそうだと思ったものを私が選び、それから作詞にとりかかった。
録音スタジオには[スタジオ・オーナーの] Amerio の Artesuono Recording Studios を選ぶべきだということがはっきりしていた。そこで初めて録音した時、Amerio が録音した私の声がとても気に入っていたのだ。
この時点で私は ECM としばらくのこと、あまりコンタクトをとっていなかった。しかし、幸運にもManfred が私たちの録音の一部を聴いて興味を示したという話が伝わってきた。そこで、トリオが一緒に仕事をしていく経験を積んだ頃、私は Manfred に録音することに興味があるかどうか確認することにした。嬉しいことに、彼は非常に興味を持っていた。
最初に私が Glauco に会い、その後トリオの[一枚目の]録音をした、まさにそのスタジオである Artesuono Studio をManfred は少し前から使い始めていたのだった。私たちは[アルバム] “Distances” を録音した。
この CD がメディアで大変高く評価され、パリの Académie du Jazz からヴォーカル・ジャズ賞を受賞したことに私たちはとてもわくわくした。更にCD はグラミー賞にノミネートまでされた。
Manfred Eicher と一緒に仕事をするのはいい経験になる。録音への彼のインプットは本当の違いを創り出す。彼が行う各楽器の音の扱い方と位置づけ方はトリオの全体の音にとって死活的だった。一曲づつの作曲のエッセンスをどう表現するのかという彼の提案も同様だった。彼は真のプロデュ―サーだ。ジャズにおいてそのタイトル[真のプロデュ―サー]を称することができる人はそういない。
私たちは ECM で 2枚目になる CD を録音した。曲作りの過程は以前とだいたい同じだった。Glauco が持ってきたフォークソングで Friulano 語[イタリア北東部地方の言葉]の歌詞のものがあった。それに手をつけられなかったのは残念だった。私の翻訳のスキルを Friulano 語で試したかったのだが。次回にやることになるかもしれない。
曲の形をないがしろにすることなく、散らかってなくてスペース感がある、リズム的により複雑な曲をどう演奏するかについて最近は実験している。言うのはた易いがやるのはそう簡単ではない。でも私は楽しんでいる。すてきで民主的なバンドだ。
全編、ヴィデオと写真、いろいろな曲の抜粋で構成されていて、Norma がナレーションしている。
以下、ナレーションの和訳を載せる。[ ] 内は補足だ。
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このバンドの生い立ちについて語るにはセレンディピティーという言葉が相応しいと思う。
1988年、最初にGlauco に会ったのは、あるレコーディング・プロジェクトに誘われた時だった。数年後、あるエージェントからGlauco と Klaus と一緒にコンサートをしないかと連絡があった。Glauco と Klaus は 1996 年に南フランスの Vienne で出会っていた。そこでGlauco はコンペの審査員をしていたが、Klaus がソロ賞を受賞したのだと思う。
[イタリアの]Udine の近くで開催されるコンサートに一緒に参加しないかという話だった。私が入った時点で、二人は不思議にも他の二人がどのような演奏をするのか既に知っているかのようだった。リズム的に、ビートがどこに来るのかはまったく確かではない。普通のテンポで演奏していても、時々、ほとんどクラシック音楽のように一小節の長さを伸ばしたりする。
数年のうちに幾つかのコンサートをした後、スタジオ環境ではいったいどういう音になるのかを確認するため、レコーディングをすることを決めた。Glauco とKlaus がそれぞれ作曲したものを持って私の家に来て、どれがバンドに合うかアイデアを出し合った。いい曲になりそうだと思ったものを私が選び、それから作詞にとりかかった。
録音スタジオには[スタジオ・オーナーの] Amerio の Artesuono Recording Studios を選ぶべきだということがはっきりしていた。そこで初めて録音した時、Amerio が録音した私の声がとても気に入っていたのだ。
この時点で私は ECM としばらくのこと、あまりコンタクトをとっていなかった。しかし、幸運にもManfred が私たちの録音の一部を聴いて興味を示したという話が伝わってきた。そこで、トリオが一緒に仕事をしていく経験を積んだ頃、私は Manfred に録音することに興味があるかどうか確認することにした。嬉しいことに、彼は非常に興味を持っていた。
最初に私が Glauco に会い、その後トリオの[一枚目の]録音をした、まさにそのスタジオである Artesuono Studio をManfred は少し前から使い始めていたのだった。私たちは[アルバム] “Distances” を録音した。
この CD がメディアで大変高く評価され、パリの Académie du Jazz からヴォーカル・ジャズ賞を受賞したことに私たちはとてもわくわくした。更にCD はグラミー賞にノミネートまでされた。
Manfred Eicher と一緒に仕事をするのはいい経験になる。録音への彼のインプットは本当の違いを創り出す。彼が行う各楽器の音の扱い方と位置づけ方はトリオの全体の音にとって死活的だった。一曲づつの作曲のエッセンスをどう表現するのかという彼の提案も同様だった。彼は真のプロデュ―サーだ。ジャズにおいてそのタイトル[真のプロデュ―サー]を称することができる人はそういない。
私たちは ECM で 2枚目になる CD を録音した。曲作りの過程は以前とだいたい同じだった。Glauco が持ってきたフォークソングで Friulano 語[イタリア北東部地方の言葉]の歌詞のものがあった。それに手をつけられなかったのは残念だった。私の翻訳のスキルを Friulano 語で試したかったのだが。次回にやることになるかもしれない。
曲の形をないがしろにすることなく、散らかってなくてスペース感がある、リズム的により複雑な曲をどう演奏するかについて最近は実験している。言うのはた易いがやるのはそう簡単ではない。でも私は楽しんでいる。すてきで民主的なバンドだ。
by invs
| 2015-06-27 09:17
| Norma Winstone