2016年 08月 26日
Cholet-Känzig-Papaux Trio - このバンドとは |
Cholet-Känzig-Papaux Trio (ショレ、ケンチッヒ、パポー トリオ) は今回二度目の来日となる。前回の初来日ツアーではそれまでCD/YouTubeなどでしか聴けなかったトリオを「生で見られてよかった」と各地の公演で耳にした。
以下、前回の上越市公演をご覧になった野口慎一さんの寄稿文をご覧いただきたい。
『最近のJazzは僕にとってシラけた音楽に成ってしまった。 Jazzは、ビバップというとてつもない音楽スタイルを産んで以降、紆余曲折を辿りながら 新しい手法を模索したが、結局ビバップを超えるスタイルは生まれず崩壊の一途を辿った。 ラソネで去年、このショレトリオを聴くことになった夜も大した期待はしていなかった。 が、その思惑は大きく外れた。もちろん良い意味でだ。 このグループのサウンドはチック・コリアがヴィトウスと出会った「Now He Sings Now He Sobs」を初めて聴いた時の衝撃に似ている。このレコードは当時、やや難解だったが新しい時代を示唆する「熱」を確かに持っていた。 ショレトリオの演奏は、その頃感じた「熱」をさらに超えたのだ。僕だけではなく、その場に居あわせた観客は息を飲むようにその「熱」を感じていたと確信している。 ビバップスタイルでもなく、現在のJazzのような軽さ、あるいは無意味な難解さではなくJazzという手法を通じて「熱」を伝える。そう、現在では、ほとんど見かけないJazzトリオと言っていいだろう。 特に彼らの音楽に引きずり込まれた大きな要因は、パポーのドラムだ。Jazzのベースとなる4ビートに囚われない変幻自在のリズムは次々と色を変え、このトリオの音楽を引張ていく。 ピアノ、ベースの二人は、それを受けてさらに拡張し続ける。 おそらく1曲に30分をかけたとしても誰も飽きることもなく、緊張感と浮遊感、そしてパッションに包まれながら音楽に浸ることが出来るんじゃないだろうかとさえ思わされる。 それほどまでに曲の展開は自由なのだ。 このトリオの演奏を聴けば、Jazzはまだ生きていることを誰もが実感出来るはずだ。 みんなに伝えたいが、自分の中だけにしまっておきたい衝動にさえ駆られる。 「信ずるか信じないかは、あなた次第」なんて言葉、どこかで聞いたことがあるが、僕はあえて言いたい。 ここにはまさしくJazzが生きている。』
2016 日本ツアー詳細
photo: Jean-Baptiste Millot
以下、前回の上越市公演をご覧になった野口慎一さんの寄稿文をご覧いただきたい。
『最近のJazzは僕にとってシラけた音楽に成ってしまった。 Jazzは、ビバップというとてつもない音楽スタイルを産んで以降、紆余曲折を辿りながら 新しい手法を模索したが、結局ビバップを超えるスタイルは生まれず崩壊の一途を辿った。 ラソネで去年、このショレトリオを聴くことになった夜も大した期待はしていなかった。 が、その思惑は大きく外れた。もちろん良い意味でだ。 このグループのサウンドはチック・コリアがヴィトウスと出会った「Now He Sings Now He Sobs」を初めて聴いた時の衝撃に似ている。このレコードは当時、やや難解だったが新しい時代を示唆する「熱」を確かに持っていた。 ショレトリオの演奏は、その頃感じた「熱」をさらに超えたのだ。僕だけではなく、その場に居あわせた観客は息を飲むようにその「熱」を感じていたと確信している。 ビバップスタイルでもなく、現在のJazzのような軽さ、あるいは無意味な難解さではなくJazzという手法を通じて「熱」を伝える。そう、現在では、ほとんど見かけないJazzトリオと言っていいだろう。 特に彼らの音楽に引きずり込まれた大きな要因は、パポーのドラムだ。Jazzのベースとなる4ビートに囚われない変幻自在のリズムは次々と色を変え、このトリオの音楽を引張ていく。 ピアノ、ベースの二人は、それを受けてさらに拡張し続ける。 おそらく1曲に30分をかけたとしても誰も飽きることもなく、緊張感と浮遊感、そしてパッションに包まれながら音楽に浸ることが出来るんじゃないだろうかとさえ思わされる。 それほどまでに曲の展開は自由なのだ。 このトリオの演奏を聴けば、Jazzはまだ生きていることを誰もが実感出来るはずだ。 みんなに伝えたいが、自分の中だけにしまっておきたい衝動にさえ駆られる。 「信ずるか信じないかは、あなた次第」なんて言葉、どこかで聞いたことがあるが、僕はあえて言いたい。 ここにはまさしくJazzが生きている。』
2016 日本ツアー詳細

by invs
| 2016-08-26 16:50
| Cholet-Känzig-Papaux

