2017年 06月 07日
Bill Bruford 2008 年インタヴュー |
ドラマーとして大活躍したイギリスの Bill Bruford は数回 Real & True Live Series に出演している。彼のバンド Earthworks とオランダのピアニスト Michael Borstlap とのデュオでのライヴだった。
既に現役引退した Bruford だが、演奏のかたわら、キャリアの一番後期に立ち上げたレコード・レーベル Summerfold とそのレーベルの CD,DVDを販売したイギリスのレーベル/販売元 Voiceprint が作成した DVD 販売用のプロモーション・ヴィデオがある。2008年に公開されているので、既に多くの方がご覧になったことと思うが、Bruford の発言で個人的に興味深いものを拾って和訳/意訳してみた。ヴィデオには Bruford 自身が登場し、Jon Kirkman のインタヴューに答える形をとっている。ヴィデオは YouTube 上に 11 回にわたり分割掲載されている。
ヴィデオ その一
*バンド Bruford について
「フュージョンとかジャズロックとか自分達では考えていなかった。むしろ、世の中が Bruford にカテゴリー名称を与える前に実際に演奏していた。ロックがスリー・コード(典型的なE/A/B などで循環する曲)や四分の四拍子でなくてはいけないとは思っていなかった。 "Bruford はファンシーなコードでやるロックバンド" だった。」
「この時期、長男の Alex が生まれた。ソロ・アーティストになろうとして "Feels Good to Me" のアルバムをリリースした。」
「UKは立ち上がったのも早かったが、終わるのも早かった。 Jobs/Wetton はバンド Asia のような音楽がやりたかった。Holdsworth と私はそうでなかった。それで、辞めてくれと言われ、それは結構、もとの路線に戻れると言った。」
「バンド Bruford はメンバー構成がよかった。とてつもないフレーズを弾くギターのHoldsworth に、それを非常にうまく支えるキーボードのDave Stewart がいた。Stewart は Holdsworth と競争しなかった。アメリカン・アクセントで話すAnnettte Peacock は半分歌い、半分囁く、とても変わったシンガーで、彼女をバンドに入れたら面白いと思った。」
*Earthworks について
「80年代のコンセプトはパーカッション的に何ができるかだった。常に自己革新が必要だった。YES のアルバム "Close to Edge", King Crimson のアルバム"Red"、Bruford でJeff Berlinと曲 "5G" をやったが、そこにとどまっているわけにはいかない。進む必要がある。それでEarthworks に至った。」
「1986年、ロックからドラマーとして最初に始めたジャズに戻った。この頃にドラマーもコードや音のフレーズを弾けるように機材が革新された。曲 "Up North" でわかるように、イギリスの雰囲気がある、普通でない楽器の使い方を、尖がったメンバーと一緒にやった。」
「Earthworks の時、私のオーディエンスが変わった。アメリカのブルース・ベースでないヨーロッパのジャズだ。」
「90年代に入りエレクトロニック・ドラムのロジスティック上の問題が大きくなった。93/94、King Crimson に戻ったが、その後 96年、新たなEarthworks を結成、今度は完全にアコースティックになり、ジャズ・グループ(でも音の大きな)になった。」
「Tim Garland は何でもできる凄いミュージシャンだ。彼は教鞭もとっているが、その生徒に Earthworks に加入したピアニストの Gwylim Simcock がいた。」
*Bruford/Borstlap について
「オランダのテレビ局の企画でBorstlap に会った。DVD にライヴが収録されているが、このライヴはリハなし、事前の話し合いもなかった完全ぶっつけ本番だ。こういうものは無意識レベルでの、二人での会話が自然にインプロヴィゼーションになる。ジャズというのは、その時を捉えるために、生きるか死ぬかを問うものだ。」
「ロックは繰り返しだ。もう二度とやれない。やりたいとも思っていなかったが過去にはやっていた。ロックには身体的に殺される。とても堅苦しく、保守的なものだ。プログレがあった時代はそれでもドラマーには気を使うバンドがあった。今はだめだ。」
* World Drummers Ensemble について
「セネガルのドラマーDoudou N'Diaye Roseのドラムにはドラムのすべての要素が入っている。彼と一緒に演奏できて多くを学んだのはとても素晴らしかった。」
既に現役引退した Bruford だが、演奏のかたわら、キャリアの一番後期に立ち上げたレコード・レーベル Summerfold とそのレーベルの CD,DVDを販売したイギリスのレーベル/販売元 Voiceprint が作成した DVD 販売用のプロモーション・ヴィデオがある。2008年に公開されているので、既に多くの方がご覧になったことと思うが、Bruford の発言で個人的に興味深いものを拾って和訳/意訳してみた。ヴィデオには Bruford 自身が登場し、Jon Kirkman のインタヴューに答える形をとっている。ヴィデオは YouTube 上に 11 回にわたり分割掲載されている。
ヴィデオ その一
*バンド Bruford について
「フュージョンとかジャズロックとか自分達では考えていなかった。むしろ、世の中が Bruford にカテゴリー名称を与える前に実際に演奏していた。ロックがスリー・コード(典型的なE/A/B などで循環する曲)や四分の四拍子でなくてはいけないとは思っていなかった。 "Bruford はファンシーなコードでやるロックバンド" だった。」
「この時期、長男の Alex が生まれた。ソロ・アーティストになろうとして "Feels Good to Me" のアルバムをリリースした。」
「UKは立ち上がったのも早かったが、終わるのも早かった。 Jobs/Wetton はバンド Asia のような音楽がやりたかった。Holdsworth と私はそうでなかった。それで、辞めてくれと言われ、それは結構、もとの路線に戻れると言った。」
「バンド Bruford はメンバー構成がよかった。とてつもないフレーズを弾くギターのHoldsworth に、それを非常にうまく支えるキーボードのDave Stewart がいた。Stewart は Holdsworth と競争しなかった。アメリカン・アクセントで話すAnnettte Peacock は半分歌い、半分囁く、とても変わったシンガーで、彼女をバンドに入れたら面白いと思った。」
*Earthworks について
「80年代のコンセプトはパーカッション的に何ができるかだった。常に自己革新が必要だった。YES のアルバム "Close to Edge", King Crimson のアルバム"Red"、Bruford でJeff Berlinと曲 "5G" をやったが、そこにとどまっているわけにはいかない。進む必要がある。それでEarthworks に至った。」
「1986年、ロックからドラマーとして最初に始めたジャズに戻った。この頃にドラマーもコードや音のフレーズを弾けるように機材が革新された。曲 "Up North" でわかるように、イギリスの雰囲気がある、普通でない楽器の使い方を、尖がったメンバーと一緒にやった。」
「Earthworks の時、私のオーディエンスが変わった。アメリカのブルース・ベースでないヨーロッパのジャズだ。」
「90年代に入りエレクトロニック・ドラムのロジスティック上の問題が大きくなった。93/94、King Crimson に戻ったが、その後 96年、新たなEarthworks を結成、今度は完全にアコースティックになり、ジャズ・グループ(でも音の大きな)になった。」
「Tim Garland は何でもできる凄いミュージシャンだ。彼は教鞭もとっているが、その生徒に Earthworks に加入したピアニストの Gwylim Simcock がいた。」
*Bruford/Borstlap について
「オランダのテレビ局の企画でBorstlap に会った。DVD にライヴが収録されているが、このライヴはリハなし、事前の話し合いもなかった完全ぶっつけ本番だ。こういうものは無意識レベルでの、二人での会話が自然にインプロヴィゼーションになる。ジャズというのは、その時を捉えるために、生きるか死ぬかを問うものだ。」
「ロックは繰り返しだ。もう二度とやれない。やりたいとも思っていなかったが過去にはやっていた。ロックには身体的に殺される。とても堅苦しく、保守的なものだ。プログレがあった時代はそれでもドラマーには気を使うバンドがあった。今はだめだ。」
* World Drummers Ensemble について
「セネガルのドラマーDoudou N'Diaye Roseのドラムにはドラムのすべての要素が入っている。彼と一緒に演奏できて多くを学んだのはとても素晴らしかった。」
by invs
| 2017-06-07 13:46
| Bill Bruford