2017年 10月 27日
Peter Hammill 2017 ツアー三日目 |
Peter Hammill 2017 ツアーは三日目に入った。今夜の会場は 新宿のPit Inn だ。
2017 ツアー詳細
昨夜、札幌 Jamusica の公演をご覧になった方は相当ラッキーだ。ここ何年かの来日ライヴの中で演奏に最もエネルギーが感じられた。小さな会場でやると出演者にはオーディエンスの顔が良く見える。お客さんの目と鼻の先で真剣なパーフォーマンスが繰り広げられる。ヴォーカルはPAで拡声されるが、グランドピアノはマイクで拾わなくとも、生音だけで十分に音量が出せる。幾つかの要素が重なっていい緊張感が出て来る。ライヴ音楽のマジックはこういう時に生まれる。
そこで思い出したのが、60/70年代のライヴだ。ポップとロックンロール、その他様々な音楽を昇華して、ロック黎明期が出現した。その頃のイギリスの音楽好きのロックな若者たちは The Beatles、The Who、The Rolling Stones といったイギリスのバンド音楽を経てアメリカからジミー・ヘンドリクスという強力なプレイヤーのライヴ洗礼を受けた。Peter もそういうジェネレーションの一人として、マンチェスター大学をドロップ・アウトして Van der Graaf Generator (ちなみに、このバンド名は Christopher John Judge Smith がリストアップした多くのバンド名候補の中から「科学専攻」だった Peter が選んだ)を立ち上げた。同時期に活躍した Arthur Brown とともにアンダーグラウンド・バンドとして名声を得、海外遠征などもして一時代を築いた。
その頃のライヴは今のように高度にビジネス化されておらず、ほとんどのバンドはいろいろやり繰りして楽器やその他の機材を調達していた。今と比べると、音響システム(「システム」とも呼べないものの方が多かった)は随分と貧弱だった。その代わりというと変だが、ミュージシャンの音楽への入れ込み方が凄かった。正式な音楽教育を受けていない「素人」が楽器を弾いたり歌を歌ったりするのがロック界の主流だったから、演奏技術は独学で、かえって本人の癖や個人的な工夫、更にはその人の性格や生き様がそのままダイレクトに演奏に投影されるような結果となった。反体制という大きなテーゼ、「30才以上は誰も信用するな」といったフレーズに象徴されるような若者の心的態度、そして、それらを現実化する一つの方法としてロックがあった。それはエンタテインメントや趣味ではなく、生き方だった。それ故、とてつもないエネルギーがあった。
そういう環境を背景に世に出た Peter Hammill がステージで演奏すると、それがたとえ 21世紀であっても、彼を送り出した社会のエネルギーが感じられる。これは懐古しているのではない。当時のことを何一つ知らない人にも、そのエネルギーが今も通用することが重要だ。オーディエンスは Peter を伝導体としてエネルギーを受け取っていることになる。
Peter をしてカリスマたらせるものの一つがそこにある。
Peter Hammill 関連 Blog 記事一覧
2017 ツアー詳細
昨夜、札幌 Jamusica の公演をご覧になった方は相当ラッキーだ。ここ何年かの来日ライヴの中で演奏に最もエネルギーが感じられた。小さな会場でやると出演者にはオーディエンスの顔が良く見える。お客さんの目と鼻の先で真剣なパーフォーマンスが繰り広げられる。ヴォーカルはPAで拡声されるが、グランドピアノはマイクで拾わなくとも、生音だけで十分に音量が出せる。幾つかの要素が重なっていい緊張感が出て来る。ライヴ音楽のマジックはこういう時に生まれる。
そこで思い出したのが、60/70年代のライヴだ。ポップとロックンロール、その他様々な音楽を昇華して、ロック黎明期が出現した。その頃のイギリスの音楽好きのロックな若者たちは The Beatles、The Who、The Rolling Stones といったイギリスのバンド音楽を経てアメリカからジミー・ヘンドリクスという強力なプレイヤーのライヴ洗礼を受けた。Peter もそういうジェネレーションの一人として、マンチェスター大学をドロップ・アウトして Van der Graaf Generator (ちなみに、このバンド名は Christopher John Judge Smith がリストアップした多くのバンド名候補の中から「科学専攻」だった Peter が選んだ)を立ち上げた。同時期に活躍した Arthur Brown とともにアンダーグラウンド・バンドとして名声を得、海外遠征などもして一時代を築いた。
その頃のライヴは今のように高度にビジネス化されておらず、ほとんどのバンドはいろいろやり繰りして楽器やその他の機材を調達していた。今と比べると、音響システム(「システム」とも呼べないものの方が多かった)は随分と貧弱だった。その代わりというと変だが、ミュージシャンの音楽への入れ込み方が凄かった。正式な音楽教育を受けていない「素人」が楽器を弾いたり歌を歌ったりするのがロック界の主流だったから、演奏技術は独学で、かえって本人の癖や個人的な工夫、更にはその人の性格や生き様がそのままダイレクトに演奏に投影されるような結果となった。反体制という大きなテーゼ、「30才以上は誰も信用するな」といったフレーズに象徴されるような若者の心的態度、そして、それらを現実化する一つの方法としてロックがあった。それはエンタテインメントや趣味ではなく、生き方だった。それ故、とてつもないエネルギーがあった。
そういう環境を背景に世に出た Peter Hammill がステージで演奏すると、それがたとえ 21世紀であっても、彼を送り出した社会のエネルギーが感じられる。これは懐古しているのではない。当時のことを何一つ知らない人にも、そのエネルギーが今も通用することが重要だ。オーディエンスは Peter を伝導体としてエネルギーを受け取っていることになる。
Peter をしてカリスマたらせるものの一つがそこにある。
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by invs
| 2017-10-27 15:48
| Peter Hammill