2018年 03月 07日
Duo Myhr/Apneseth 京都公演感想 |
今日、ノルウェーの伝統フォークを演奏するDuo Myhr/Apneseth(ミール/アップネセット・デュオ)による2018 初来日ツアーは二日目に入った。
日本ツアー詳細
昨夜の京都 RAG 公演の感想を書いておく。
ステージに向かって右手で Elrend Apneseth がハルダンゲル・フィドル(ハーディング・フェーレ)を座って演奏、中央と左手に Margit Myhr が位置を占める。Margit は椅子を二か所に置き、最も左手、テーブルの上で民族楽器のランゲレイクを弾き、中央で竪琴のリール(ライアー)を奏で歌を歌う。
まず最初の印象は Margit の高い透明感のある声だった。彼女の地声よりかなり高い歌声だ。いかにも北欧的な清涼感がある。フィヨルドに吹き渡る風のような、自然な流れが伝統曲らしいメロディーラインで展開される。一曲目の伝統曲ではハルダンゲル・フィドルをバックにソロで歌う。歌に続いてフィドルのソロ演奏があり、その後にランゲレイク(ノルウェー語で「長い楽器」とのこと)の演奏があった。ランゲレイクは細長い箱状の上に弦を張った形をしている。九本の弦があり、その内八本は共鳴弦として、一本が左手で弦を押さえるメロディー弦として機能する。右手には「爪(ピック)」を持ち、これで弦をかく。ランゲレイクの実物を見るのは初めてだった。とても珍しい楽器だ。中世の頃に作られたものが現存するそうだが、そのだいぶ前から楽器はあったとMargit が説明していた。この楽器は元々ダンス音楽用に使われていたが、弾きながら歌も歌われる。
世界のどこでもそうだが、伝統曲というのは地域地域でいろいろ異なる。同じ曲でも幾つものヴァージョンがあり、ノルウェーでも「数えきれない(Erlend)」ほどだ。「宗教的なフォーク・ソング」と紹介されて始まった曲は、この地域性をはっきりと見ることができる。同じ曲をハルダンゲル・フィドルの旋律と歌のメロディーの違いで際立たせる。Margit の故郷は Erlend が育った所よりは西にあり、そう遠く隔てたところではないながら結構違う。
その次の曲のタイトルは「牛を失った牧羊家」というもので、こういう類の曲が多いとの説明だった。夏になると山の上に向かって家畜を移動させるのだが、その関連の歌が多いという。この曲はハルダンゲル・フィドルと歌がユニゾンで演奏された。Erlend の説明によると、ハルダンゲル・フィドルは17世紀からある楽器で、昔は「悪魔の楽器」と呼ばれたそうだ。それは、キリスト教がノルウェーに入ってきた時、民衆がこの楽器によって踊ったり、興奮して喧嘩したりする一種の扇動楽器として教会側から見られたためだ。悪魔故にフィドルが焼かれたりしたという。Erlend とMargit(彼女もフィドルを弾ける) は今回三台のハルダンゲル・フィドルを持参している。その内、Erlend が説明時に使っていたものは九弦で、その内五弦が共鳴弦だった。
Margit はリールを弾きながら歌う。この楽器は中世に成立しているが、元々の調弦が今では不明となっているため、彼女は自分なりの調弦をしていると説明していた。昨夜の調弦では最も低音の弦は C(ド)に調律されていた。
これも世界の民族音楽に共通して言えることだが、本来の音楽は歌も楽器もソロが原点となっている。従って、ライヴでもソロ演奏があると楽器本来、その音楽本来の姿がよく見えてくる。ハルダンゲル・フィドルのソロ演奏で Erlendが右足を使って床で拍をとっていると、ダンスの時フィドルが果たす役割がよくわかる。Margit が無伴奏に近い形で歌を歌うと、人間の声の強さが実感される。「衆目の中、裸になって演奏している」ソロの形は、演奏者の集中度の強さや洗練の度合いがオーディエンスに丸見えになるが故、演奏者の高度な技量や熟練度がアンサンブル形態より数次元の上のレベルで問われてくる。伝統音楽、民族音楽でのコンサートの良し悪しは演奏者によるとことが大きい。
そういう意味で新世代のErlendとMargit がノルウェーの民族音楽の将来を担っていることは明瞭だ。ライヴという、人間の本質に関わる、最も音楽の根幹の部分でどう説得力を発揮するか。これが伝統音楽、民族音楽ミュージシャンにとって最大のチャレンジだ。
日本ツアー詳細
昨夜の京都 RAG 公演の感想を書いておく。
ステージに向かって右手で Elrend Apneseth がハルダンゲル・フィドル(ハーディング・フェーレ)を座って演奏、中央と左手に Margit Myhr が位置を占める。Margit は椅子を二か所に置き、最も左手、テーブルの上で民族楽器のランゲレイクを弾き、中央で竪琴のリール(ライアー)を奏で歌を歌う。
まず最初の印象は Margit の高い透明感のある声だった。彼女の地声よりかなり高い歌声だ。いかにも北欧的な清涼感がある。フィヨルドに吹き渡る風のような、自然な流れが伝統曲らしいメロディーラインで展開される。一曲目の伝統曲ではハルダンゲル・フィドルをバックにソロで歌う。歌に続いてフィドルのソロ演奏があり、その後にランゲレイク(ノルウェー語で「長い楽器」とのこと)の演奏があった。ランゲレイクは細長い箱状の上に弦を張った形をしている。九本の弦があり、その内八本は共鳴弦として、一本が左手で弦を押さえるメロディー弦として機能する。右手には「爪(ピック)」を持ち、これで弦をかく。ランゲレイクの実物を見るのは初めてだった。とても珍しい楽器だ。中世の頃に作られたものが現存するそうだが、そのだいぶ前から楽器はあったとMargit が説明していた。この楽器は元々ダンス音楽用に使われていたが、弾きながら歌も歌われる。
世界のどこでもそうだが、伝統曲というのは地域地域でいろいろ異なる。同じ曲でも幾つものヴァージョンがあり、ノルウェーでも「数えきれない(Erlend)」ほどだ。「宗教的なフォーク・ソング」と紹介されて始まった曲は、この地域性をはっきりと見ることができる。同じ曲をハルダンゲル・フィドルの旋律と歌のメロディーの違いで際立たせる。Margit の故郷は Erlend が育った所よりは西にあり、そう遠く隔てたところではないながら結構違う。
その次の曲のタイトルは「牛を失った牧羊家」というもので、こういう類の曲が多いとの説明だった。夏になると山の上に向かって家畜を移動させるのだが、その関連の歌が多いという。この曲はハルダンゲル・フィドルと歌がユニゾンで演奏された。Erlend の説明によると、ハルダンゲル・フィドルは17世紀からある楽器で、昔は「悪魔の楽器」と呼ばれたそうだ。それは、キリスト教がノルウェーに入ってきた時、民衆がこの楽器によって踊ったり、興奮して喧嘩したりする一種の扇動楽器として教会側から見られたためだ。悪魔故にフィドルが焼かれたりしたという。Erlend とMargit(彼女もフィドルを弾ける) は今回三台のハルダンゲル・フィドルを持参している。その内、Erlend が説明時に使っていたものは九弦で、その内五弦が共鳴弦だった。
Margit はリールを弾きながら歌う。この楽器は中世に成立しているが、元々の調弦が今では不明となっているため、彼女は自分なりの調弦をしていると説明していた。昨夜の調弦では最も低音の弦は C(ド)に調律されていた。
これも世界の民族音楽に共通して言えることだが、本来の音楽は歌も楽器もソロが原点となっている。従って、ライヴでもソロ演奏があると楽器本来、その音楽本来の姿がよく見えてくる。ハルダンゲル・フィドルのソロ演奏で Erlendが右足を使って床で拍をとっていると、ダンスの時フィドルが果たす役割がよくわかる。Margit が無伴奏に近い形で歌を歌うと、人間の声の強さが実感される。「衆目の中、裸になって演奏している」ソロの形は、演奏者の集中度の強さや洗練の度合いがオーディエンスに丸見えになるが故、演奏者の高度な技量や熟練度がアンサンブル形態より数次元の上のレベルで問われてくる。伝統音楽、民族音楽でのコンサートの良し悪しは演奏者によるとことが大きい。
そういう意味で新世代のErlendとMargit がノルウェーの民族音楽の将来を担っていることは明瞭だ。ライヴという、人間の本質に関わる、最も音楽の根幹の部分でどう説得力を発揮するか。これが伝統音楽、民族音楽ミュージシャンにとって最大のチャレンジだ。
by invs
| 2018-03-07 10:42
| Duo Myhr/Apneseth

