2018年 05月 14日
Per Oddvar Johansen Trio 日本ツアー終了 |
Per Oddvar Johansen Trio の日本ツアーが無事終了した。多くの方々にご来場いただき感謝申し上げる。
トリオ公演のセットリストは、Per Oddvar のドラム・ソロで始まるという形をとっていた。これは普通のバンドではほとんどない形だ。ドラム・ソロと言えば「見せ場」として比較的目立つ演奏をするものだが、Per Oddvar の場合は、ごくごく控えめに、小さめの音である一定のパターンをベースとして反復しつつ、それを少しづつ変えていくという珍しい演奏だ。リズムにこだわりはあるが強調し過ぎることはなく、むしろ叩き出す音の質感に注意を払っている。そういう意味で、普通のドラマーにはない実験性が感じられる。「実験しているぞ」という感じを出さない「かなりの深度の実験」と言えばいいだろうか。
ドイツのレーベル ECMに ”The Next Best Sound to Silence” (静けさの次に一番いい音)という謳い文句があるが、自然の静寂ほど人を根源から落ち着かせるものはないだろう。静けさに不安を覚えるのは、自然に問題があるからというより、それを感じる人間側に問題がある。自然それ自体に問題は存在しない。人間は自然という静けさの中から長い時間をかけて音楽を汲みだしてきたわけだが、その過程でどうしても人間的な問題が紛れ込む。人間の感情を音楽に仮託することが日常になってくると、本来の音(楽)[音と音楽が未分化]の発生時点での音(楽)の持つ意味を忘れてしまう。
今回の Per Oddvar のドラムを聴いて感じたのは、まさにその忘れてしまった音楽の原点を大事にしようという意識だ。これだけ音楽が溢れている世の中では、人間によって生み出された音(音楽ではなく音)に「素直に」驚くということがほとんどできない。何でも意味を付けたがる人間の癖が出てきてしまう。
これをきっかけに反省したい。
トリオ公演のセットリストは、Per Oddvar のドラム・ソロで始まるという形をとっていた。これは普通のバンドではほとんどない形だ。ドラム・ソロと言えば「見せ場」として比較的目立つ演奏をするものだが、Per Oddvar の場合は、ごくごく控えめに、小さめの音である一定のパターンをベースとして反復しつつ、それを少しづつ変えていくという珍しい演奏だ。リズムにこだわりはあるが強調し過ぎることはなく、むしろ叩き出す音の質感に注意を払っている。そういう意味で、普通のドラマーにはない実験性が感じられる。「実験しているぞ」という感じを出さない「かなりの深度の実験」と言えばいいだろうか。
ドイツのレーベル ECMに ”The Next Best Sound to Silence” (静けさの次に一番いい音)という謳い文句があるが、自然の静寂ほど人を根源から落ち着かせるものはないだろう。静けさに不安を覚えるのは、自然に問題があるからというより、それを感じる人間側に問題がある。自然それ自体に問題は存在しない。人間は自然という静けさの中から長い時間をかけて音楽を汲みだしてきたわけだが、その過程でどうしても人間的な問題が紛れ込む。人間の感情を音楽に仮託することが日常になってくると、本来の音(楽)[音と音楽が未分化]の発生時点での音(楽)の持つ意味を忘れてしまう。
今回の Per Oddvar のドラムを聴いて感じたのは、まさにその忘れてしまった音楽の原点を大事にしようという意識だ。これだけ音楽が溢れている世の中では、人間によって生み出された音(音楽ではなく音)に「素直に」驚くということがほとんどできない。何でも意味を付けたがる人間の癖が出てきてしまう。
これをきっかけに反省したい。
by invs
| 2018-05-14 13:49
| Per Oddvar Johansen

