2018年 07月 14日
Mari Boine とサーミ音楽 |
サーミの祭典 Riddu Riđđu フェスで Mari Boine のコンサートを見た。1980年代より活躍する Mari はサーミ出身の国際的アーティストとして、サーミの代表者であり続け、サーミの人々に希望と勇気を与えてきた。
今日のコンサートは極めて政治的メッセージの強いものだった。バックに写真とヴィデオ映像を交え、単なるコンサートというよりはイヴェントになっていた。長いこと差別を受けていた歴史、「サーミは何も知らない」という当時の中央政府のサーミ自身への偏見の刷り込み、ヨーロッパのアカデミズムに代表される「知性」がいかに差別を助長してきたかを、カール・ユングの言葉「知性があるとは、知性で分かるのは世界の半分ということを知っていること」まで引き合いに出して表現していた。
演奏中や曲間にコンスタントに映される写真やヴィデオには、サーミの頭長を測るために計測器を頭にあてているもの、鉱山開発によりトナカイの土地が荒らされることに対する反対運動、政府による警察官を動員してのデモ規制など、サーミ差別に関する様々なシーンがあった。「サーミは何も知らない」という偏見を逆手にとった演出 - 現在、ノルウェーの大学で心理学や数学といった高度な学問を学ぶサーミの人々を、写真毎に本人の名前入りで平服姿(苗字だけではノルウェー語のものもあり、サーミとは分からない)とサーミの民族衣装で繰り返してみせる - など、いろいろ工夫がしてある。先にヨーロッパの大学(威厳のある建物)をそれらの設立年度とともに写真で見せ、次にサーミの人々が写った昔の写真(どちらかといえば見すぼらしい姿)を対比で見せる。Mari Boine によるこれでもかという表現は、サーミの人々が長いこと苦しんできた歴史の悲惨さの程度を表している。
Mari は歌を歌うだけでなく、曲中、曲間にいろいろなメッセージや説明を加える。「今、私がここにいるのは、誰か(祖先霊を暗示か)がここに連れてきてくれたから」、「誰かは今もここにいる」といったサーミらしい本当の意味でのスピリチャルなメッセージや「子供の頃ヨイクは歌えず、祖母に博物館で見つけることができると聞いてヨイクを知った」などという話まであった。Mari のメッセージは彼女がコンサートの冒頭に語った「科学と科学の外の世界はお互い敬意を払うべき」という趣旨を持った言葉に集約されると思う。これは彼女の中では「ヨーロッパ世界とサーミ」という対比でもある。
コンサートの音楽部分に絞って言えば、80年代に世界中で隆盛を極めた狭義の「ワールド・ミュージック」の延長上にある。一部の曲にはヨイクの発声をベースにした歌もあり、サーミを感じさせたが、全体としてはサーミの音楽というよりはワールド・ミュージックと言っていいだろう。彼女が30年間に亘ってその発展に寄与したサーミ文化の復興が、21世紀を迎えて、サーミの音楽をワールド・ミュージックとして捉えられる領域外にまで押し上げ、遂には音楽的には彼女の守備範囲の外に出てしまうまでにアップグレードしたことは皮肉と言う他はない。歴史・文化の面白さはこういうところにある。
Mari はコンサート終了後、ステージ上で、今回のフェスの協力者 UiT(トロムソ大学)設立 50周年を記念して名誉教授の称号を同大学から贈られた。
今日のコンサートは極めて政治的メッセージの強いものだった。バックに写真とヴィデオ映像を交え、単なるコンサートというよりはイヴェントになっていた。長いこと差別を受けていた歴史、「サーミは何も知らない」という当時の中央政府のサーミ自身への偏見の刷り込み、ヨーロッパのアカデミズムに代表される「知性」がいかに差別を助長してきたかを、カール・ユングの言葉「知性があるとは、知性で分かるのは世界の半分ということを知っていること」まで引き合いに出して表現していた。
演奏中や曲間にコンスタントに映される写真やヴィデオには、サーミの頭長を測るために計測器を頭にあてているもの、鉱山開発によりトナカイの土地が荒らされることに対する反対運動、政府による警察官を動員してのデモ規制など、サーミ差別に関する様々なシーンがあった。「サーミは何も知らない」という偏見を逆手にとった演出 - 現在、ノルウェーの大学で心理学や数学といった高度な学問を学ぶサーミの人々を、写真毎に本人の名前入りで平服姿(苗字だけではノルウェー語のものもあり、サーミとは分からない)とサーミの民族衣装で繰り返してみせる - など、いろいろ工夫がしてある。先にヨーロッパの大学(威厳のある建物)をそれらの設立年度とともに写真で見せ、次にサーミの人々が写った昔の写真(どちらかといえば見すぼらしい姿)を対比で見せる。Mari Boine によるこれでもかという表現は、サーミの人々が長いこと苦しんできた歴史の悲惨さの程度を表している。
Mari は歌を歌うだけでなく、曲中、曲間にいろいろなメッセージや説明を加える。「今、私がここにいるのは、誰か(祖先霊を暗示か)がここに連れてきてくれたから」、「誰かは今もここにいる」といったサーミらしい本当の意味でのスピリチャルなメッセージや「子供の頃ヨイクは歌えず、祖母に博物館で見つけることができると聞いてヨイクを知った」などという話まであった。Mari のメッセージは彼女がコンサートの冒頭に語った「科学と科学の外の世界はお互い敬意を払うべき」という趣旨を持った言葉に集約されると思う。これは彼女の中では「ヨーロッパ世界とサーミ」という対比でもある。
コンサートの音楽部分に絞って言えば、80年代に世界中で隆盛を極めた狭義の「ワールド・ミュージック」の延長上にある。一部の曲にはヨイクの発声をベースにした歌もあり、サーミを感じさせたが、全体としてはサーミの音楽というよりはワールド・ミュージックと言っていいだろう。彼女が30年間に亘ってその発展に寄与したサーミ文化の復興が、21世紀を迎えて、サーミの音楽をワールド・ミュージックとして捉えられる領域外にまで押し上げ、遂には音楽的には彼女の守備範囲の外に出てしまうまでにアップグレードしたことは皮肉と言う他はない。歴史・文化の面白さはこういうところにある。
Mari はコンサート終了後、ステージ上で、今回のフェスの協力者 UiT(トロムソ大学)設立 50周年を記念して名誉教授の称号を同大学から贈られた。
by invs
| 2018-07-14 01:34

