2024年 09月 19日
Norma Winstone (ノーマ・ウィンストン)のインタヴュー和訳(一部) |
Norma Winstone (ノーマ・ウィンストン)のインタヴュー和訳(一部、イギリスでのもの)を掲載する。長いインタヴューのほんの出だしの部分だ。
11 月には Norma たちの公演がある。
私の両親は音楽が大好きでした。あらゆる種類の音楽を愛していました。お金がほとんどありませんでしたが、当時人気のあったヴェルディやプッチーニのオペラのチケットを手に入れていました。 うまい歌手が大好きで、父は戦争中不在で母に手紙を書いて「 私はラジオでフランク・シナトラという素晴らしい歌手を聴きました」と言いました。それで、音楽には価値のあるものがあるという考えが生まれました。父は耳で聴いてピアノを弾くだけでしたが、私が 7 才半か 8 才の時始めたピアノが大好きだと切実に思っていました。両親が私にピアノを習わないか尋ねたので、私はイエスと答えました。
家族にあったのはラジオだけでした。 アメリカン・ソング・ブック {Wikipedia: グレート・アメリカン・ソング・ブック、別名アメリカン・スタンダーズ (American Standards) は、20 世紀はじめ以降、最も重要で大きな影響力をもったアメリカ合衆国の古来の(伝統的な)流行歌やジャズのスタンダード・ナンバーとして定番となっている楽曲の総称} の曲を聴いていました、私の母はクリスマス・パーティーだけのために少し歌っていました。彼女は素敵な声をしていて、私はそれらの曲が大好きでした。私がその歌を聞いて、歌詞を知らないと母親に尋ねましたが、知らないことがよくありました。
私が 8 歳くらいのとき、彼女は一度、『ヴォイス・アンド・ミュージック』という映画を観に連れて行ってくれました、その音楽はロジャース・アンド・ハートによるものでした、そして突然一人の女性が映画のスクリーンに現れました、レナ・ホーン、私は釘付けになりました。その歌を歌うつもりだと言いました。それで母親は私に楽譜をくれたので、参考にすることができました。
昔はクリスマスパーティーがあったのですが、その日の午後には子供たちが何かを披露しなければなりませんでした。来年のクリスマスパーティーで何を歌おうかとよく考えていました。母のいとこが私にゴールドのストラップ入りの服を作ってくれました。母のいとこは私より 8 歳年上でした。ショー『回転木馬』に連れて行ってもらって、『イフ・アイ・ラヴド・ユー』に夢中になりました。最初からその音楽が好きだったし、父も母も好きだったので母が私が歌うことを励ましてくれました。
私が 12 歳くらいのとき、レコードプレーヤーを持っていました。ロンドンの Bow(ボウ)から Dagenham(ダゲナム)に引っ越しました。そこは田舎だと思っていました、いとこがフリッツジェラルドの LP を貸してくれたんです。そこで彼女は "LAスペシャル" を歌っていました。私はそれをすべてコピーして、何度も繰り返し歌いました。友人の兄が持っていた Dave Brubeck (デイブ・ブルーベック)のレコードを聴くまで、私は即興演奏について何も知りませんでした -- Jazz Impressions of the USA Dave Brubeck Quartet with Paul Desmond(ポール・デスモンドと共演した USA デイブ・ブルーベック・カルテットの USA ジャズ・インプレッションズ)です。私はこれが大好きで、特に "Plain Song" という曲が大好きでした。彼の演奏はとても明瞭で叙情的で。作曲されているように私には聴こえました。こんな風に歌えたら素敵だなあと思いました。
私は(ジャズの)レッスンを受けていません。ジャズについてはどこの学校でも学べませんでした。ただ他人がジャズを演奏するのを聴いて学んでいました。 それは今でもいい方法だと思います。夢中にならなければならなかったのです。 私は夢中になっていました。誰かが Seven Kings (セブン・キングス)に歌の先生がいると言っていたのでレッスンを予約しました。でもその先生の歌を聴いたことがないのです。「今週、どの曲を歌いたいですか? 」、「横隔膜を使って正しい呼吸法を教えます」と言って。長い音符を歌う練習をしました。 あまり雑音を立てずに、息をするために。それは呼吸の幅を均等に活用しようとするものです。それはとても重要でした。

by invs
| 2024-09-19 11:49
| Norma Winstone

