2025年 01月 18日
ピアニスト Samuli Mikkonen (サムリ・ミッコネン)東京公演の感想 |
一昨日、ピアニスト Samuli Mikkonen (サムリ・ミッコネン)の東京公演が行われた。ベストな(PA の音は本当によかった)音環境の中、Samuli のピアノが奏でる音はどこか知らない世界を垣間見た感じを起させた。
前回来日時はインプロヴィゼーションということで、自由裁量或いは別の言い方をすれば己のリミット丸出しの演奏だったのに対し、今回は既存曲の演奏なので、予め Samuli 本人は曲の演奏を「習熟」しておくことができる。その代わり本人の予想がつかない演奏が飛び出してくるということはあまりない。前者を「危険」とすれば後者は「安全」となる。でも面白いことに、Samuli の後者には、よく普通のジャズであるような演奏上の「音の解決、気分の定まり」というのがほとんどなかった。曲の最後に来ても「解決」せずに何となく宙に浮かぶ。聴く人の気持ちは「悲しい」のか「嬉しい」のか定まらない。「楽しい」気分になるのか、そうでないのか判断がつかない。Samuli の作曲する曲は(ウドゥムルト民謡はトラッド)敢えて、人の心・想いを定めにくくして限りない不安定さに投げ込む。
こう書くとネガティヴに聞こえるが、作曲した曲であるから、不安定になるであろうことを予想して作曲している。既存の枠からはみ出ることを意図している。聴く者を不安定に置くことはチャレンジングだが、そうすることよって脱日常化がはかれる。オーディエンスとの真剣な駆け引きがここで行われている。「席に座ったら有無を言わさずオレを大いに楽しませてくれ」といったいわゆる普通のエンタテインメントの世界は、ここではひとまず置いてこないといけない。そこが Samuli の本意だとすれば、東京公演は成功だった。
むしろ Samuli のインプロヴィゼーションの方が、曲を弾き始めるその瞬間まで曲が作れないから、出てきたインプロは「音の解決、気分の定まり」がはっきりしていた。つまり、インプロの方が「悲しい」か「嬉しい」かが分かりやすい。インプロと作曲の違いが明白なのは、ジャズ、それもヨーロピアン・ジャズの他のミュージシャンも同様かと思うが、意識(作曲)と無意識(インプロ)がこのように作用するのは面白い。
本日、新潟公演
by invs
| 2025-01-18 14:07
| Samuli Mikkonen


