2006年 08月 11日
Nik Baertsch インタビュー |
Nik Baertsch のインタビュー ("All about Jazz" 7/24 号)の一部をNik のマネジメントより許可をもらって和訳した。何回かに分けて掲示する。
===
最初、20代の頃、それまで経験した異なる音楽スタイルを一つのコンセプトにまとめることが私には重要だった。なぜこれをしているのだろうか、なぜ音楽が好きで、なぜ演奏し、作曲するのか、それらの意味は一体何なのかということを自分に問うた。
コンセプトにとって重要なので、それより少し前の頃から話をしよう。最初はジャズ、ファンク、ポップを弾き、それから16才になって、とてもいい教師についてクラシック音楽をやりはじめた。しかし、こうしたスタイルやコンセプトやバンド、特にジャズ・グループで私は中心となる部分、作業の継続性、を見つけることができなかった。私独特の何か、真髄のみを取り出したようなものが欲しかったのだ。そこで、大学でピアノの勉強をしてから、ジャズ・バンドで演奏するのをやめ、たくさんのコンサートをするのをやめた。クラブで演奏するのもやめ、アンプを通して演奏するのをやめた。
そのとき、新しい形のコンサートを創った。Mobile (モビール)と呼ばれた最初のバンドを始めたのだ。 このバンドと私は速く動くクラブ・カルチャーと違ったものを創りたかったが、また一方で堅いクラシック・カルチャーとも違うものを創りたかった。私たちは音楽だけでなく、その部屋、照明や時間が重要な役割をもつリチュアル(儀式)、音楽儀式を創りだした。それは一種のマルチ・メディアの考え方だったが、ヴィデオをたくさん使うとかいうようなものではなく、ライヴ・パーフォーマンスの全ての要素について考えていくという意味でよりマルチ・メディアだった。このリチュアルの最初のものは 2000年に行われた。ほとんど2年間にわたり準備し、コンサートは 36 時間連続のものだった。
===
最初、20代の頃、それまで経験した異なる音楽スタイルを一つのコンセプトにまとめることが私には重要だった。なぜこれをしているのだろうか、なぜ音楽が好きで、なぜ演奏し、作曲するのか、それらの意味は一体何なのかということを自分に問うた。
コンセプトにとって重要なので、それより少し前の頃から話をしよう。最初はジャズ、ファンク、ポップを弾き、それから16才になって、とてもいい教師についてクラシック音楽をやりはじめた。しかし、こうしたスタイルやコンセプトやバンド、特にジャズ・グループで私は中心となる部分、作業の継続性、を見つけることができなかった。私独特の何か、真髄のみを取り出したようなものが欲しかったのだ。そこで、大学でピアノの勉強をしてから、ジャズ・バンドで演奏するのをやめ、たくさんのコンサートをするのをやめた。クラブで演奏するのもやめ、アンプを通して演奏するのをやめた。
そのとき、新しい形のコンサートを創った。Mobile (モビール)と呼ばれた最初のバンドを始めたのだ。 このバンドと私は速く動くクラブ・カルチャーと違ったものを創りたかったが、また一方で堅いクラシック・カルチャーとも違うものを創りたかった。私たちは音楽だけでなく、その部屋、照明や時間が重要な役割をもつリチュアル(儀式)、音楽儀式を創りだした。それは一種のマルチ・メディアの考え方だったが、ヴィデオをたくさん使うとかいうようなものではなく、ライヴ・パーフォーマンスの全ての要素について考えていくという意味でよりマルチ・メディアだった。このリチュアルの最初のものは 2000年に行われた。ほとんど2年間にわたり準備し、コンサートは 36 時間連続のものだった。
by invs
| 2006-08-11 11:29
| Nik Bärtsch's Ronin

