2006年 08月 15日
Nik Baertsch インタヴュー (続き) |
インタヴューの続きを掲載する。
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この(長い)演奏の間、グループの構成は変わったが、最低でもプレイヤーが一人は演奏していた。つまり、デュオ、トリオなどいろいろな演奏の可能性があったのだ。Mobile は当時カルテットだった。36 時間コンサートの後にあの黒い(ジャケットの)Ritual Groove Music と題した最初のアルバムを録音した。それが私たちのモットーだった。全てのミュージシャンがその36時間コンサートにいたということ、このような演奏の形態が音楽にフォーカスと集中をもたらすはずだ。みな、音楽に集中しそのエネルギーを感じた。また、何ができるか、疲れたらどうなるのかということも感じ取った。このような状況では音楽のエネルギーに大変近づくことができるのだ。
このリチュアルで私たちは単に即興演奏をするような音楽的実験などをしたのではない。とても長期間にわたり準備した。私は多くの曲を書き、みんなで練習した。曲のパターンについてモジュールとして演奏していた。これがモジュール的考え方の始まりだった。これは私の発明ではない。例えば、多くのパターンやパターンのコンビネーションを使った「春の祭典」のようなストラヴィンスキーの作曲の仕方にも見つけることができる。また、モートン・フェルドマンも音のパターンを集めることにより、多くの可能性を創りだしたモジュラー作曲方法を発展させている。
これは例えばベートーヴェンのような伝統的なウイーン学派のリニアーな考え方や思考を発展させる -- ナレイティヴな考え方ではない。音楽のパターンを組み合わせることによりスペースを創ることだ。そう、これはスティーヴ・ライヒの音楽で役割を担っている。しかし、私やバンドにとっては、こうした経験を、例えばラモンテ・ヤングのように再現だけするようなことはせず、クラシック、ジャズとファンクの間にある何かを探すことことが大事だった。よって、演奏するとき、例えばクラシックのように、スコアについて詳細な解釈をしたりする一方、ジャズやファンクから得たタイミングの重要性について知っている、というような経験を積んでいることが重要だった。また、例えばポップ・ソングにおいてソロをとるときのように、謙虚で演奏し過ぎないということも大事だった。
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この(長い)演奏の間、グループの構成は変わったが、最低でもプレイヤーが一人は演奏していた。つまり、デュオ、トリオなどいろいろな演奏の可能性があったのだ。Mobile は当時カルテットだった。36 時間コンサートの後にあの黒い(ジャケットの)Ritual Groove Music と題した最初のアルバムを録音した。それが私たちのモットーだった。全てのミュージシャンがその36時間コンサートにいたということ、このような演奏の形態が音楽にフォーカスと集中をもたらすはずだ。みな、音楽に集中しそのエネルギーを感じた。また、何ができるか、疲れたらどうなるのかということも感じ取った。このような状況では音楽のエネルギーに大変近づくことができるのだ。
このリチュアルで私たちは単に即興演奏をするような音楽的実験などをしたのではない。とても長期間にわたり準備した。私は多くの曲を書き、みんなで練習した。曲のパターンについてモジュールとして演奏していた。これがモジュール的考え方の始まりだった。これは私の発明ではない。例えば、多くのパターンやパターンのコンビネーションを使った「春の祭典」のようなストラヴィンスキーの作曲の仕方にも見つけることができる。また、モートン・フェルドマンも音のパターンを集めることにより、多くの可能性を創りだしたモジュラー作曲方法を発展させている。
これは例えばベートーヴェンのような伝統的なウイーン学派のリニアーな考え方や思考を発展させる -- ナレイティヴな考え方ではない。音楽のパターンを組み合わせることによりスペースを創ることだ。そう、これはスティーヴ・ライヒの音楽で役割を担っている。しかし、私やバンドにとっては、こうした経験を、例えばラモンテ・ヤングのように再現だけするようなことはせず、クラシック、ジャズとファンクの間にある何かを探すことことが大事だった。よって、演奏するとき、例えばクラシックのように、スコアについて詳細な解釈をしたりする一方、ジャズやファンクから得たタイミングの重要性について知っている、というような経験を積んでいることが重要だった。また、例えばポップ・ソングにおいてソロをとるときのように、謙虚で演奏し過ぎないということも大事だった。
by invs
| 2006-08-15 10:19
| Nik Bärtsch's Ronin

