2007年 01月 30日
Pauliina Lerche - 略歴 |
Pauliina Lerche (パウリーナ・レルヒェ)の略歴が公式サイトに掲載されているが、それを以下、和訳する。彼女は結婚する前は Luukkanen(ルーカネン)という苗字だった。まずは97年のソロ・デビューまでを記載する。
1974年 フィンランド・カレリア地方の Rääkkylä (ラーキラ)生まれ、4歳でヴァイオリンを弾き始める。
*1983-85年
カレリア地方{注:フィンランド東部でロシアと国境を接する地域}の詩に対する興味が強くなり、フィンランドの放送局の番組で自作の詩を書いたり読んだりするまでになる。
1983年
9歳のときVärttinä(ヴァルティナ)に加入、5弦カンテレの練習を始める。{右の写真は83年}
*1987-89年
87年にKaustinen Folk Music Festival(カウスティネン・フォーク・ミュージック・フェスティバル)にてヴァルティナがその年の「カウスティネン・アンサンブル」として選ばれる。{注:カウスティネンはフィンランドの小さな村で、毎年フェスティバルが開催される}
87年にデビュー・アルバム "Värttinä"がリリースされ、翌年、ドイツ・オーストリア・ソ連へツアーを行う。
89年、セカンド・アルバムの"Musta Lindu /Black Bird"がリリースされる。 これがヴァルティナのオリジナル・メンバーでの最後のアルバムとなる。
パウリーナがKuopio(クオピオ) の音楽高等学校で勉強するためヴァルティナを脱退する。
*1990-93年
高等学校に在学中、クラスメートとフォーク・ミュージック・バンドを結成する。1992年にシングルをリリース。
バンドのために作曲とアレンジをし、アコーデオンがパウリーナのメインの楽器となる。
*1994-97年
94年、シベリウス・アカデミーのフォーク音楽部門で勉強を始める。{注:シベリウス・アカデミーはフィンランドの音楽界における最高学府}
パウリーナのバンドMimmit (ミミット)の作曲とアレンジをする。このバンドには妹の Hannamari(ハンナマリ)も参加している。
北カレリア地方のフォーク・ミュージック・バンド Burlakat (ブルラカット)に誘われ、加入する。このバンドはカレリア語で歌を歌う。パウリーナは歌とヴァイオリンを担当。
95年、交換留学生として日本で勉強(東京の芸大)
96年、フィンランド国立オペラ・バレー学校のために作曲
ヘルシンキに拠点を置くフォーク・ダンス・アンサンブルのPitko (ピトゥコ)に誘われ、加入。演奏と作曲を担当。
97年、最初のソロ公演
1974年 フィンランド・カレリア地方の Rääkkylä (ラーキラ)生まれ、4歳でヴァイオリンを弾き始める。
*1983-85年
カレリア地方{注:フィンランド東部でロシアと国境を接する地域}の詩に対する興味が強くなり、フィンランドの放送局の番組で自作の詩を書いたり読んだりするまでになる。

9歳のときVärttinä(ヴァルティナ)に加入、5弦カンテレの練習を始める。{右の写真は83年}
*1987-89年
87年にKaustinen Folk Music Festival(カウスティネン・フォーク・ミュージック・フェスティバル)にてヴァルティナがその年の「カウスティネン・アンサンブル」として選ばれる。{注:カウスティネンはフィンランドの小さな村で、毎年フェスティバルが開催される}
87年にデビュー・アルバム "Värttinä"がリリースされ、翌年、ドイツ・オーストリア・ソ連へツアーを行う。
89年、セカンド・アルバムの"Musta Lindu /Black Bird"がリリースされる。 これがヴァルティナのオリジナル・メンバーでの最後のアルバムとなる。
パウリーナがKuopio(クオピオ) の音楽高等学校で勉強するためヴァルティナを脱退する。
*1990-93年
高等学校に在学中、クラスメートとフォーク・ミュージック・バンドを結成する。1992年にシングルをリリース。
バンドのために作曲とアレンジをし、アコーデオンがパウリーナのメインの楽器となる。
*1994-97年
94年、シベリウス・アカデミーのフォーク音楽部門で勉強を始める。{注:シベリウス・アカデミーはフィンランドの音楽界における最高学府}
パウリーナのバンドMimmit (ミミット)の作曲とアレンジをする。このバンドには妹の Hannamari(ハンナマリ)も参加している。
北カレリア地方のフォーク・ミュージック・バンド Burlakat (ブルラカット)に誘われ、加入する。このバンドはカレリア語で歌を歌う。パウリーナは歌とヴァイオリンを担当。
95年、交換留学生として日本で勉強(東京の芸大)
96年、フィンランド国立オペラ・バレー学校のために作曲
ヘルシンキに拠点を置くフォーク・ダンス・アンサンブルのPitko (ピトゥコ)に誘われ、加入。演奏と作曲を担当。
97年、最初のソロ公演
by invs
| 2007-01-30 12:05
| Pauliina Lerche