2007年 02月 20日
Terje Isungset 2/19 Buddy 公演 |
昨日の公演は最近見たインプロヴィゼーションのセッションではとくに際立っていた。低いバスドラの連打とともにパーカッション類(木、石の他、世界中のベル類をタンバリンを改造した枠に取り付けたものをハイハットのように使う)や口琴、野生山羊の角で作ったホーン、ひもに吊るしたインドのベル(主に足で揺らす)を目まぐるしく使ったり、ドラムのタム類の上にいろいろな「鳴り物」を付けて演奏するテリエ(風のような音から叫び声までいろいろなヴォイスも)に、鈴木理恵子のヴァイオリン、中村仁美の篳篥、そして巻上公一のテルミン、口琴とヴォイスが交錯する。緩急自在の「生き物」があちらこちらと飛び交い、言葉では語りつくせない世界が作り出された。
ヴァイオリン、篳篥、テルミンはすべて音程を自由にスライドさせて演奏することができるので、いわゆる「音程が合っている」という概念から離れてセッションが展開できる。もちろん、「音を合わせる」ことも当然できるので、これが全体として微妙な浮遊感を醸し出していた。テリエの「楽器」は一見ドラムセットに多くのパーカッション類が付属しているように見えながらも、実はすべてパーカッションとして機能していたように思う。どこへ飛んでいくかわからないメロディー系の楽器群に、構成なり意味を与える役割ももっていたが、テリエ自身は理性で全体を構築しているわけではなく、むしろごく自然にその場で生まれ出す音楽に身を任せていた。
欧米のドラマーやパーカッション・プレイヤーは一般に「リズムを作る」ということが主体となっているが、テリエの場合は「リズムを超えて、命を与える」ような気が強くした。
前日ニュージーランドの公演から戻ったばかりの巻上公一、翌日ニューヨークでの公演とワークショップに旅発つ中村仁美、忙しいコンサートの合間を縫って参加した鈴木理恵子、そして北海道から東京入りしたばかりのテリエと国際的に活躍するミュージシャン達によるまさに「現在進行形」を体現したコンサートだった。
写真:前沢春美

欧米のドラマーやパーカッション・プレイヤーは一般に「リズムを作る」ということが主体となっているが、テリエの場合は「リズムを超えて、命を与える」ような気が強くした。
前日ニュージーランドの公演から戻ったばかりの巻上公一、翌日ニューヨークでの公演とワークショップに旅発つ中村仁美、忙しいコンサートの合間を縫って参加した鈴木理恵子、そして北海道から東京入りしたばかりのテリエと国際的に活躍するミュージシャン達によるまさに「現在進行形」を体現したコンサートだった。
写真:前沢春美
by invs
| 2007-02-20 09:08
| Terje Isungset