2008年 02月 13日
Terje Isungset (テリエ・イースングセット) - 楽屋公演 |
Terje Isungset (テリエ・イースングセット)Super Sessions 公演第一日目は「楽屋」で行われた。ヴォーカルの酒井俊が共演相手だ。
第一部はTerje のソロでパーカッション、口琴、ヴォイス、ノルウェー野生山羊の角笛、パイプ(電気配線用)などを使って演奏があった。手足を縦横に使うだけではなく、声や口もどんどん使ってさまざまな音を出していく。カウベルのようなものはドラム椅子に座りながら左足を捻ってベルがぶら下がっているひもを揺する。持参の朽ちたようなスネア・ドラムとフロアー・タムやバス・ドラムにはいろいろな鈴や音の出る金属が数珠つなぎのようにいくつか付けられていて、それらも駆使される。スティックはベルゲンの自宅の庭に生えている樹木を自分で加工して束ねたオリジナルだ。山羊の角笛には穴があけられていて、ある程度のスケール(音階)が吹けるようになっている。静と動が巧みに組み合わされ、瞬時の油断もなく、ずっと続くのだが飽きさせない。「ステージの上では完全に自分を忘れる」と言っていたが、本当に身体が勝手に動いてしまうようだ。パーカッション、それも自然派パーカッションの王者といっていいだろう。研ぎ澄まされた感覚が、小さな音から大音響まで隅々まで行き届いている。インプロヴィゼーションもこの領域まで到達すれば、誰をも納得させてしまう。
第二部は酒井俊とのデュオだ。彼女の持ち歌や詩を、連続した一遍のストーリーを見るかの如くコラージュしている。酒井のファンであればみなよく覚えているあの曲、あの歌が別の生命を宿ったかのように、独自の立ち位置を獲得して舞い降りてくるのだ。日本の子守唄や「ヨイトマケ」の曲もある。酒井俊の声がいい。Terje があるときはバックになり、またあるときは曲想を導き、自由自在だが確実に酒井の歌や詩を引き立てている。これほどまでに声を引き立てるパーカッションをこれまで見たことはない。ステージ上にはメロディー楽器がないのにかかわらず、どこからともなく、何かが聞こえてくるのだ。「ない」ということが「ある」ということを際立たせる。「無」は雄弁に「有」をもたらす。その印象を極めて強く抱いた公演だった。 満席の会場で熱心に耳を傾けていただいたお客様に大いに感謝する。「場」がはっきりと創られていた。
写真:前沢春美
第一部はTerje のソロでパーカッション、口琴、ヴォイス、ノルウェー野生山羊の角笛、パイプ(電気配線用)などを使って演奏があった。手足を縦横に使うだけではなく、声や口もどんどん使ってさまざまな音を出していく。カウベルのようなものはドラム椅子に座りながら左足を捻ってベルがぶら下がっているひもを揺する。持参の朽ちたようなスネア・ドラムとフロアー・タムやバス・ドラムにはいろいろな鈴や音の出る金属が数珠つなぎのようにいくつか付けられていて、それらも駆使される。スティックはベルゲンの自宅の庭に生えている樹木を自分で加工して束ねたオリジナルだ。山羊の角笛には穴があけられていて、ある程度のスケール(音階)が吹けるようになっている。静と動が巧みに組み合わされ、瞬時の油断もなく、ずっと続くのだが飽きさせない。「ステージの上では完全に自分を忘れる」と言っていたが、本当に身体が勝手に動いてしまうようだ。パーカッション、それも自然派パーカッションの王者といっていいだろう。研ぎ澄まされた感覚が、小さな音から大音響まで隅々まで行き届いている。インプロヴィゼーションもこの領域まで到達すれば、誰をも納得させてしまう。
第二部は酒井俊とのデュオだ。彼女の持ち歌や詩を、連続した一遍のストーリーを見るかの如くコラージュしている。酒井のファンであればみなよく覚えているあの曲、あの歌が別の生命を宿ったかのように、独自の立ち位置を獲得して舞い降りてくるのだ。日本の子守唄や「ヨイトマケ」の曲もある。酒井俊の声がいい。Terje があるときはバックになり、またあるときは曲想を導き、自由自在だが確実に酒井の歌や詩を引き立てている。これほどまでに声を引き立てるパーカッションをこれまで見たことはない。ステージ上にはメロディー楽器がないのにかかわらず、どこからともなく、何かが聞こえてくるのだ。「ない」ということが「ある」ということを際立たせる。「無」は雄弁に「有」をもたらす。その印象を極めて強く抱いた公演だった。
写真:前沢春美
by invs
| 2008-02-13 11:12
| Terje Isungset