2008年 06月 23日
Picidae (ピッキデー) 6/22 公演 |
6/22 、大雨の中、Picidae (ピッキデー)公演にお越しいただいたお客様に感謝申し上げる。一時は土砂降りで気温も下がり、あの中で会場まで来られた方は本当に大変だったと思う。
昨夜の公演を聴いていろいろなことを考えた。まず、Picidae の音楽は漢方薬のような気がした。効果はスパッと現われるというより、じわじわと身体に染み入る。繰り返される静かな曲が幾つか重なってくると、ゆっくりとだが自然に、変な副作用もなく気分がよくなってくる。次に思ったのは、Tara の歌声に巫女的要素があるということだ。特に中高音域で少し伸ばし気味に歌うときの声に呪術を感じた。彼女のどこかにケルトの血が入っているせいだろうか。キリスト教文化が浸透する前の古代ヨーロッパの世界だ。
もう一つ感じたのは、ミニマムでマキシマムを達成しようとしてそれに成功していることだ。デュオという小さなユニットで、かつアコースティックな楽器で音量をおさえている。エレクトリック系の楽器で音を大きくすればそれだけで人を驚かすことは可能だが、工夫がなければ音楽としての深さが得られない。オリジナル曲も短めで派手さはなく、どちらかといえば静かで人によっては地味な印象を受けるだろう。必要最小限のエレメントを使い、創意工夫して Picidae の世界を作っている。それには確かな訓練に裏打ちされた演奏技術と、その技術に溺れないだけの自制心が必要だ。この21世紀の情報氾濫時代はコンテンツとしての音楽(要素)氾濫時代でもある。その中にあって Picidae は自らを抑えることにより、はからずもアンチテーゼ的役割を果たしているのだ。弾けるからといってどんどん弾いては音の氾濫だ。よく吟味して選ばれた本物の音だけを丁寧にプレゼンテーションする。それが Picidae の真髄ではないだろうか。
昨夜の公演を聴いていろいろなことを考えた。まず、Picidae の音楽は漢方薬のような気がした。効果はスパッと現われるというより、じわじわと身体に染み入る。繰り返される静かな曲が幾つか重なってくると、ゆっくりとだが自然に、変な副作用もなく気分がよくなってくる。次に思ったのは、Tara の歌声に巫女的要素があるということだ。特に中高音域で少し伸ばし気味に歌うときの声に呪術を感じた。彼女のどこかにケルトの血が入っているせいだろうか。キリスト教文化が浸透する前の古代ヨーロッパの世界だ。
もう一つ感じたのは、ミニマムでマキシマムを達成しようとしてそれに成功していることだ。デュオという小さなユニットで、かつアコースティックな楽器で音量をおさえている。エレクトリック系の楽器で音を大きくすればそれだけで人を驚かすことは可能だが、工夫がなければ音楽としての深さが得られない。オリジナル曲も短めで派手さはなく、どちらかといえば静かで人によっては地味な印象を受けるだろう。必要最小限のエレメントを使い、創意工夫して Picidae の世界を作っている。それには確かな訓練に裏打ちされた演奏技術と、その技術に溺れないだけの自制心が必要だ。この21世紀の情報氾濫時代はコンテンツとしての音楽(要素)氾濫時代でもある。その中にあって Picidae は自らを抑えることにより、はからずもアンチテーゼ的役割を果たしているのだ。弾けるからといってどんどん弾いては音の氾濫だ。よく吟味して選ばれた本物の音だけを丁寧にプレゼンテーションする。それが Picidae の真髄ではないだろうか。
by invs
| 2008-06-23 16:29
| Picidae